2023.03.12

辞めなければいけない、そう仰った。その人のことはあまり知らないけれど、歌にかける情熱が人一倍あることはこれまでの付き合いで見て取れる。それでも、一旦表現を伴う活動はすべて辞めて地元に戻るのだと。他人の人生には私の想像のつかない色んなことがあるのだろう。

日頃楽しく歌えるようになって、やっぱり歌うことが好きだと心から思えるようになって。でも、そのきっかけになった人は表現を辞めてしまうらしい。どことなく寂しいなと勝手に思う。直接会う機会があと少しありそうだから、その際に感謝の言葉は伝えておきたい。

 

 

先日、自身の持つ楽器について調べていたときのこと。たまたま自分と好みのクラシック曲が悉く重複しているブログを見つけた。出てくる曲名すべてに頷きながら読み進めていると、ふと目についたある言葉がすんなりと自分の中に入ってきて、その日から私の楽器に対する感性はがらりと変わってしまった。一方で、そのブログの末尾には下記の趣旨の文章が綴られていた。曰く、「楽器を弾くことによって自分の人生は救われないとわかってしまった。どれだけヴァイオリンが上手くなっても、自分はまったく幸せではないことに気がついてしまった。」と。ちょっと寂しい気持ちになった。この人の演奏、私は聴いてみたかった。今は幸せであればいいな。

数週間前、異なる楽器を弾いたときに音が変わった気がしたのは、おそらくこのことがきっかけで私の気の持ちようが変わったからで。楽器の音色が楽器の音とその人自身の音でできていることを感覚的に知っている。今はそこから一歩踏み込んで、音色は自分の心を映すものだとはっきり自覚できた。それからは自分の心を動かす音が内側に存在していることになんとなく気がついて、それを表現したいと自然と思えるようになった。今は足りなくてもまた弾けばいいし、そうやって何かを追い求めることは楽しい。

時に丸一日触れてもわからず、15年以上悩み続けていたものがするすると解けていくような感覚。心が感じられないと形容されてからどこか楽しめなくなって、いくら練習しても技術と「それ」は乖離する一方で、何のために楽器を続けているのか心の何処かで問い続けていたように思う。でも、ここに来てようやく私は私の音を少し好きになれたらしい。私が好きな私のバッハを私が弾くんだな。それだけのことが理解できるようになるまで長年本当にしんどかったけれど、今は楽器を続けてきてよかったと心底思う。