2022.10.10

雨の音が大きくて、今日はあまり眠れなかった。朝早くから運転の練習をする計画を立てていたのだけれど、真夜中に何度か目が覚めた影響で全然思った通りの時間に起きられなくて。飛行機の時間などを諸々考慮した結果、練習はできなかった。今年に入ってから選択肢を増やしていきたいとなんとなく考えていて。些細なことでいいから。実際はこんな感じにあまり上手くいかないのだけれど。

 

生まれて初めて50年もののワインを飲んだ。赤ワイン特有の苦味というか重苦しい雰囲気が薄れて、さらっとした酸味のある飲み物になっている。色も深い赤みというよりは、ガーネットのようなオレンジがかった透明感のある色。アルコールの度数も明らかに低くなっているように思う。時間の経過による不可逆な変化を舌で味わうという、何とも不思議な経験だった。

 

泣いている人を見るのは久々で。以前の自分ならたぶん何もせず放っておいたのだけれど、なんかそれは違う気がしたからひたすら背中をさすった。なんでそんな酷いことするんだろうと考えて、理由らしい理由なんて特にないんだろうなと思い直した。何でも知ろうとしなくてもいいのかもしれない。

大昔に言われたんだよな。「社会では泣いたら虐められる」と。とにかく、泣くとろくな目に遭わないと学習してしまって。今でも弱みを見せることとか、自ら誰かを頼ることがめちゃくちゃに苦手だと思う。助けてほしいと思うことがもう既にしんどいというか。自分は、人と素の状態で接することを怖いと感じている節があるのだけれど、その原体験の1つなのだと思う。喜怒哀楽が何も出てこないように、なるべく平常心を保つようにする癖があって。嬉しさも悲しみも感情の振れる方向が異なるだけだから、悲しいことに対して鈍感になるということは、嬉しいことに対しても同じく鈍感になるし、表に出なくなり、やがて感じられなくなるんだよな。ところで、自分の認識が誤っていたと、「たまたま周りにろくでもない人間がいただけで、世の中には正直に言えば助けてくれる人もいる」と理解するためには、自分から行動を起こすことが必要で。それを試すこと自体が怖くて、一方でやってみないと結果がわからないこともなんとなく頭で理解し始めて、板挟み。思い切りが足りずに動かないとこのままなんだろうなと、今年の夏あたりからそんなことをずっと考えている。声を聞きたくて連絡する、それだけのことを実行に移すのがしんどい。会いたくて連絡することも同じ。自分が心から思っていることであればあるほど難しい。でも、実行に移すとほんの少し認識が変わってきているような気もする。会いたいって言ったら会ってくれようとするものなんだな、とか。体調が悪いと伝えたら気にかけてくれることもあるんだな、とか。無論相手の都合もあるけれど、ちゃんと伝えられたらそれなりに汲んでもらえるのかも…?みたいな。まだ葛藤はしているし、不安もあるけれど。

普段何を言われても屁理屈捏ねて返してくるような気丈な子が、声も出さずに泣いていた。時期的なものもあって不安定なのかもしれないけれど、色々積もったものがあることは大いに察せられて。ずっとこんなことを繰り返されていると、安心感なんて簡単になくなるんだよな。自分の近くにいる人は助けてくれないのに、遠くの人が助けてくれると思えるわけがない。現実にはそういったこともあるのだろうけれど、その最初の一歩が踏み出せなくなるくらい心の深くに諦めが根付いてしまったら、取り除けるのはいつになるかわからない。近くにはいられないし、あと1時間で出ていく身ではあるけれど、ちゃんと見ている人もいると思い続けてくれるといいなと願って、落ち着くまで側にいることにした。自分が信用ならないと感じている血の繋がりを、一方で根拠なく信じてほしいとも思う。

助けてくれる人もいると信じて疑わない人も世の中にはいて、それは間違ってはいないのだろうけれど、正直そんなに心に響かないというか。実感がない? 元々持っていなくて、それでも自身で獲得して正しいと信じている人の言葉の方が受け入れやすいこともある。先天的に持っていないものは、後天的に獲得するしかない。とはいえど、知らないまま育ってきた人がその感覚を踏まえて諭すことは難しいだろうし、知ったが最後知らない側に行くことは二度とできないし。せめて中点から端と端を見渡してみて、初めて自分なりにどちらが正しいのか判断できる気がする。だから、とりあえず真ん中まで少しずつ歩いていきたいと改めて感じた。

 

空港までタクシーに乗り、窓から外を眺める。どことなく違和感を感じ、傘を実家に忘れたことに気がついた。傘、大抵買ってから3日以内に置き忘れるんだけれど、今回は実家でよかった。行きしなのことを思い出す。着替えとか諸々を詰めた鞄、家に忘れてきたんだよな。トランクみたいなやつ。電車の乗り換えの駅でふと気が付いて、取りに戻ったら飛行機に間に合わないからこのまま行くしかないなと片や冷静に考え、片や事態に驚く。ある程度の諦めはあるけれど、あのサイズの鞄を忘れる? でも、リュックサック1つで乗る飛行機は快適で、以前彼が言っていた荷物1つで泊まりというのも案外悪くはないのかもしれないと思った。トランクがらがら引くの結構面倒なんだよな。1つくらい荷物どこかに置いてきそうで怖いし。それでいて、行きしなに傘を持ちながら機内に乗り込むのも結構面倒だったから、帰りもそういう意味では身軽だった。ゲーム機とタブレットと財布以外何も入れていなかったから着いてからが大変だったけれど、それでも何とかなったし、次からもう少し気楽に外に出る準備ができそう。1人だと案外そんなに気を張らなくていいのかも。

いつも何かしら忘れ物をしていないか気を張るのもしんどいんだよな。中学の頃友人とUSJに行って、帰る段階になって忘れものをしたことに気が付いて。確か帽子だったと思う。どこに忘れたのかもわからないから行ったお店を虱潰しに回ってへとへとになった。皆そもそもはしゃぎまくって疲れていたのに、私のせいで迷惑をかけてしまったことが深く記憶に残っている。こういうものが積み重なると、人と関わることが億劫になる時期が来る。

 

彼と一昨日に通話したとき、好きなところとかあるのか?みたいなことを質問されて。その時に引き合いに出した「付き合い始める1年ほど前に考えた内容」を要約すると、恋愛感情云々というよりは、彼の存在が自分にとって想像以上に大きくなっていたことに気がついた(正しくは、当時は全然気がついていなかったけれど、後から思うとそういうことだった)という話で。それとは別に、付き合ってから好きだな〜と思ったこともあれば、こういうところが素敵だな〜と思ったこともあり。その1つに、周りのことがあまり見えていないであろう自分のことをサポートしてくれるというのがあって。自転車や人が来たときに教えてくれたり、体を動かしてくれたり。これ、ちゃんと言ってくれる方が怖くないし、ありがたいんだよな。彼にとっては当たり前で誰にでもしていることなのかもしれないけれど、私には真似できない。それに、多少気を緩めることができるから心の底から楽しめる(彼ははらはらしているかもしれない…)。自分に足りないものを必要以上に気にせずにいられるってありがたいこと。目が合わないからどこを見ているのだろうと不思議に思うこともあるけれど、彼には彼の視点から私には見えないものが見えているのだろう。これは、付き合っているかどうかとか関係なく、素敵だなってこっそり思い続けているところ。気配り?思い遣り? 確かに感じている部分もある。こういうことは素直に伝えた方がいいのかもしれない。彼も伝えてくれたことあるし。言っていいのかわからなくて心の内に秘めているけれど、この1年間だけでも色々なもの、私の中にあるんだよな。1年経ったときにそういうことを伝えたつもりだったんだけれど、細かなニュアンスまでは伝わっていないのかも。会えなくて残念だったことも、あまり伝わっていなかったっぽいし。ちょっと悲しかったけれど、彼もああ言われて心外だったのかな。…酷いこと言ったかもしれない。うーん、自分の気持ちをちゃんと見ようとすると他人の気持ちにまで気が回らないし、他の人の気持ちを考えると自分が何を思っているのかがよくわからなくなる。もっと日頃から思ったことを伝えた方がいいのだろうけれど、どうしたら素直になれるんだろう。

そういえば、恋も愛も未だによくわからないけれど、愛おしいという感覚はなんとなくあるかもしれないと先日思った。謎。

 

帰りの飛行機から見える月が、私の目線と同じ高さにあった。見上げなくてもいい位置から、すごく綺麗にまんまると。まだ満月ではないかもしれないけれど、私にはまんまるに見えたからまんまるということにした。特等席かも。夕陽は背にしていたから見えなかったけれど、窓枠の影がオレンジ色に染まって、それだけで時間がわかるのは家の中にいても飛行機の中にいても同じで。夕焼けの色は暖かくて好き。

 

空港から駅に向かっていたらピアノの音が聞こえてきて、思わず音を辿ってみると、自分と同じくらいの歳の男性が、カフェに置かれていたグランドピアノを使って生演奏をしていた。誰でも弾いていいタイプのやつ。立ち止まって聴き入って、終わったら拍手。観に行ってよかった。あれだけ広い空間を1台で満たせる音。昔、一度だけショパンの幻想即興曲を生で聴いたことがあって、その迫力に圧倒されたことを思い出した。やっぱり生演奏はいいな。ピアノのコンサート、行ってみたいかも。

 

頻繁に帰省するのは無理かもしれない。今回戻った理由は3つ。「兄弟全員揃って会えるのもあと何回なんだろう」という言葉、祝い事、彼と会う予定。彼と会えなかったのは残念だったけれど、家族の1つの節目を顔を合わせて祝えたから、戻ってよかったと思っている。でも、単純に実家にいるのはちょっとしんどいかも。適度な距離ってあるんだろうな。

自立するって自分で選ぶことだと最近感じていて、前提として選べる状況に身を置いていないと成し得ないというか。なんか、頑張らないといけないんだと思う。色々。何とか1人でも生きていけるように。