思考と気持ちの整理

なんかこのままだとだめだなと思ったので、ちょっと真面目に考えてみる。いつも真面目ではあるけれど。

 

例えば、2人の人物がいたとして相手のAという発言について衝突したとする。普通は以下のような意見をお互いに主張して、解決の糸口を探るものと思われる。

人1:Aと言われて嫌だと感じた。

人2:Bという理由からAと発言した。人1を傷つけるつもりはなかった。

結果として、双方が自分と相手の主張を尊重することで、更に良好な関係を築くのだと思う。人1は人2の考えについて理解を深め、人2は人1の心情に理解を示して謝る、あたりが落とし所。おそらくポイントは「双方が」というところで、相手のもののみならず、自分の気持ちや考えに対しても同様に尊重する感覚があるのが理想だろう。相手が自分の主張を尊重しなかった場合、反駁するためにはその感覚が必要だと思う。

 

私の場合、おそらく「Aと言われて嫌だと感じた」に至るまでに以下の流れを辿っている。

①違和感を覚える→(②何か自分が要らないことをしたのかなと思う→)③嫌だと感じていることに気がつく→④Aと言われたことが原因であることに気がつく

①は違和感というとマイナスな印象を受けるかもしれないが、「あれ?」と思う程度だったりする。どちらかというと自分の抱く緊張感?で気がつくことも多いような。他者を害し害される可能性に気がついたときに、どことなく緊張した気分になることがある。なんか固まる感じ。逆に言うと、そうでない時は本当に何も考えていないし、リラックスできている。

②発生することも、そうでないこともある。明確に心当たりがあるならこの形では出てこないので、「私が悪い」と思っているというよりかは、「何か自分が対処できていれば事前に回避できたのでは?」という感覚の現れであることが多いかもしれない。過去の事例に基づいて、相手の反応を見て何かよくない方向に捉えられているのかも、といった推測が働く場合にも出てきやすい気がする。そもそも、自分は理解はできなくても現実の問題に対処しなくてはいけないという感覚が強く、自身の気持ちを把握する必要性をあまり感じていなかった(今はそれも必要だと認識を改めようとしている)。よって、この時点での気持ちが伴っていないという指摘は概ね正しい。

③具体的にはもやもやしているな〜くらいのものがスタートで、悲しい寂しいつらい嫌といったそれっぽい名前をつけるところがゴールになる。すぐにこういった言葉が出てこないのは自分にその習慣がないのが明確な原因であり、基本的に自分の感情を深く感じることをしていなかったためと考えている。なぜか「嫌」という表現にはそこまで抵抗を感じていないけれど、嫌って結構曖昧だからもう少し詳細に考えた方がいいよな。どう嫌だった、何が嫌だった。いずれにせよ、もう一段階の掘り下げをしないと、相手には上手く伝わらないように思う。

④ここまで掘り下げられれば、ある程度相手には伝わる内容になるのだろうか。意識的に行う必要があるので、到達するのにかなり時間がかかる。時間がかかるということは、既に私の記憶も相手の記憶も薄れているということで。問題解決を目的にすると、ここまで考えずに②で終わらせるのが合理的では?と思っている節がある。たぶんそういうことではないのだと思う。

 

上記は、自然に気持ちを感じられる可能性を排除するものではない。喜怒哀楽鈍いものが多いようには感じるものの、自然に嬉しいという気持ちや怒りが湧いてくることはある。むしろ、自覚していないまま外に表れているものについては結構分かりやすいかもしれない。

そういった意味ではなんとなく、悲しみが一際自分から遠い感情のような気がしていた。ただ、最近はそうでもなかった可能性に気がついて自分でも困惑している。こんなに近かったのは予想外だった。

①〜④のうち、①②は無意識に考えていることで、③④は無意識には辿り着けないため、③④を把握するためには意識的に考える必要がある。自然に③④にまで思考が至らないことで発生する弊害は、結論に至るまでタイムラグが発生することと、①②の時点で相手に伝えたときにどうやら相手に心理的負荷をかけているらしいということで。もしかすると私のことを尊重しようとしてくれている人であればあるほど、想定している関係ややり取りからのギャップを感じて大きく負荷を感じるのかもしれない。こう書くと誤解されそうだとは思いつつも、私は人間に対してそもそも自分の気持ちが尊重されるということをあまり想定できていないため(無意識のうちに諦めていることが多い)、こうやって整理してみてちょっとなるほどなと思った。いや、わかんないけど。

③④が自然に出てこないのは、自身が置かれた環境下で、それを考えることにあまり意味がなかったからだと推察している。極端な喩えを出すと、何か特定の行動をしないと死ぬという状況下で、それをしたいかしたくないかということを考え続けることに意味があるのか、ということ。当時の自分には見出だせなかったというだけの話だと思う。ただ、その時の年齢や期間を考慮すると、それが自分の感覚のベースとなり獲得できないまま、何ならそのことに気付きもせずに今に至ったということかな、と。

自分の気持ちを尊重してくれる人との関わりに慣れていないのかもしれない。本当はそういう人も昔からいてくれているはずで、私にその発想がなく、気がついていなかっただけの可能性が高いような気がするけれど。そうやって、お互いの考えや気持ちを尊重した関係を積み重ねてきた人からすると、自分の気持ちを相手に伝えないということは逆に想像できず、相手の立場からすると信用されていないという感覚になるのだろうか。「この人は尊重してくれないだろうから言わないとか伝えないとかそういうことを考えているわけではなく、自分の気持ちを尊重してもらえるということが経験上実感として持てておらず、何なら自分自身持っておらず、よくわからないので現状自分の思考のベースにはできていない。ただし、その現状を理解した上で、都度意識することに努めている。」ということを理解してもらえればいいのだろうか。本来意識することでもないのかな。

②で止めても、現実的な問題はある程度解決するものだと思っていて。私に何か問題があるなら教えてくださいね、という態度。むしろ大昔はこれが欠けていて、相手が困って何かを訴えてきている理由が理解できないときに全部それを歯牙にもかけていなかったのだけれど。歳が上がって少しずつ自分の見える範囲が広がってきたときに、当時わからなかったものがわかるようになって。その時によくわからなくても自分が負担した方がメリットがあるものも存在するとか、よくわからなくても人の気持ちを傷つける可能性のあることは嫌だなとかなんとなく考えるようになった。ただ、自分の気持ちを貫徹した際に一方的に責められたり、現実に色々支障を及ぼしたり、自分の行動の理由を全然聞いてもらえなかったり、身近な人の態度や行動だったりと色んな出来事が影響していて。その頃には既に自身の気持ちに思考を巡らすことも、それを人に伝えることも自然な感覚からはほぼ失われてしまっていたように思う。

だから順番としては、自分の気持ちをわかってもらうことを諦めたために伝えなくなり、そもそもあまり感じなくもなり、そのうち現実との折り合いをつけるために②の発想が出てくるようになった、が正確かな。

私自身、自分の気持ちを尊重するという感覚が希薄になっているからか、平気で②の解決を選ぼうとするのが拗れる原因なのかもしれない。③④まで考えること、ものによってはとんでもなく苦しくて、しかも時間がかかる。説明が下手な自覚もあり、考えたとして、自身にできる最大限の努力をしていることに相手は理解を示してくれるのだろうか、時間が経過していることで相手が忘れてしまう可能性を考えると②を選ぶよりも③④を選んだ方が問題解決から遠ざかることにならないだろうか、示した嘘偽りのない本物の気持ちを軽んじられたり否定されたりしないだろうか。最後のものについては、相手が好きな人だったら尚更のことで。受け入れてもらいたいとか、なんかどうしても思ってしまうから。

いや、まあだからそこを信用してくれって話なんだろうけれど。たぶん。彼のことが信用できないんじゃなくて、私に誰かを心から全面的に信用できるほどの何かが残っていなかった。この2年ほどでデバフが解除されて、最大HPを増やしている感じ。その甲斐あってか、少しずつ前向きにはなっているし、その分私からも働きかけているつもりで。働きかけているのは、私なりに相手を信用できているからで。せめてそのくらいは伝わっていてほしいなとか自分勝手に思っている。増えている感じするし、ちょっとずつ伝えるようにもしているし。物を送ってみたり、1年経ったときにメッセージを送ったり、会えなかったときの気持ちを伝えてみたり、私なりにはなんか色々。器用じゃないし、なんかよくわからないことになっているものがあるのはわかっているんだけれど。元々誰かに気持ちを伝えたいとか、考えたことなかったんだよな。伝えることを怖いと感じているのは、伝えたいと思って初めて可視化されている類のもので。何も思わなかったらそれすらないから。

とはいえど、相手に虚しいと言わせるようなことを続けたいと思っておらず。へこむ。なんか思っていたより重症な気がしてきた。そう思わせる態度を無意識にとっているのだろうか。ここ数か月は問題意識自体はあってどうにかこうにかしようとしているわけだけれど、一朝一夕でどうにかなるものでもなくて。しんどい思いをさせたいわけではないんだよな。でも、おそらく気がついていない間もさせていたわけで。去年から今に至るまで。申し訳ないというか、今考えが少しずつ変わっていますと言っても、すぐに気持ちの整理がつかないことは自分も経験している。傷ついていたなら尚更だよな。私、彼が一緒にいてくれるときににこにこしているところ、見ているの結構好きで。なんか自然と私も楽しめるし、好きだな〜とかじわじわ感じたりするし、戻ってから安心感ってこういうものなのかなとふと思ったりもする。ずっとしんどい思いさせていた中で、彼にもそういうものがあるのだろうか。どうなんだろうな。ちょっと自分に自信がないかも。でも、何も持っていないのにお付き合いするような人じゃないし、私のことも尊重してくれているから一生懸命伝えてくれているのかなとはなんとなく感じた。こんなことになるとは正直思っていなかった(こんなに昔のことを引きずっていたことに私自身気がついていなかったため)けれど、関係を深めたい気持ちはずっと持っているので、より良い方法を探っていきたい。なんか、怖いからといってあまり諦めたくないなと思う。

どうすればいいんだろう。とりあえず②の時点で相手にぶん投げると他意はなくとも悲しい思いをさせるようなので、③までは頑張るのが吉かもしれない。そこまでするのがしんどいときはどうすればいいかな。持っておけばいいか。今はちょっと昔のことを思い出しがちで、メンタルもやられ気味で自信ないかも。というか正直そちらが原因で限界に近い。誰か助けて〜〜〜。