2022.10.09

今朝見た夢は酷いものだった。詳細は覚えていないけれど、こちらが言ったことが全然理解してもらえなくて、誤解され続けて、どんどん事態が悪い方向に向かっていくような。胸が苦しくて、覚醒してからもしばらくぼんやりしていた。明晰夢でもなかったし、三度目を閉じて別の夢を見ようとしても同じ夢の続きばかり。こんな日もある。

昨日32000歩ほど歩いたために足腰が痛く、今日は家に引きこもっていた。お昼からずっと雨音に晒されていて、本を読もうとしてもどことなく落ち着かない。気持ちが浮ついていることもあるのかもしれない。そんな中で眺める雨の庭もそれはそれでいいもので、自然と心が凪に向かっていく。木の枝にとまる鵯は珍しく番ではなく、何だか寂しそうに見えた。いや、私が寂しいだけなんだけれど。

自分の場合、別に会えなくてもいいやと思った時点で最後なのはなんとなくわかっていて、積極的にコンタクトをとることはそれ自体が私なりの気持ちの表れだと思う。一方で、相手の場合は何に気持ちが表れているのかがおそらく十分に理解できておらず。ここ最近連絡をくれているのはそれに当たるらしい(さすがにそうなのだろうなとは思っていた)。会いたいと言ってくれたし、どこかに連れて行ってくれようとしたのもたぶんそれで。なんか、私にとって都合がいい考えに思ってしまうのだけれど、むしろそう思っていた方がいいのかな。嬉しいなと思って、その度に調子に乗ってはいけないと思い直すことで平常心を取り戻している気がする。自分が人の気持ちを感じ取ったときに、正しくその意図を受け取れているのかあまり自信がないから。いや、もしかすると大きくは違っていないし、何ならこの考え方が素直に相手の好意を感じ取れない原因? 嬉しいことを嬉しいと素で表明することにも抵抗がある。落ち着いてから「ありがとう。」と打ち込んでいても、その前に「え、なぜかわからないけれどめちゃくちゃ嬉しいどうしよう〜〜〜!」となっていることとか普通にあって。何にも考えていないときはめちゃくちゃ喜んでしまうけれど、なんか意識すると恥ずかしいというか、あまり良くない思い出があるというか。琥珀糖もらって喜んでいたときの反応がたぶん一番素に近いんだよな。誰?ってなりそう…。