2022.10.29

最近、何かを行ったつもりでその実忘れていることが妙に増えている気がする。書いた文章をその日のうちにアップロードするだけのはずなのに。元々忘れっぽくはあったけれど、ここまでだったかな。

 

 

嫌な夢を見た。夜分に幼少期のことを思い出していたからかもしれない。記憶の底に沈んだものを煮詰めたような夢だった。悲しいとかじゃなくて、ただただ不快。

もし子どもがほしいと願う時が来るのだとしたら、それまでにはもっと大人になっていないといけないな。なるべく余裕を持てるように人一倍気をつけないといけないというか。結婚するならこういう人じゃないとやっていけないかもと昔からなんとなく思っていたものはあったけれど、今は少し変わったかもしれない。誰しも絶対に埋まらないものがあるから、そこは自分と違うものを持った人がいいな。変わらないのは、本人の意見をちゃんと伝えてくれる人であること。2人いる最大のメリットは異なる価値観をもとにした2つの意見を知ることができる点だと思うから、はっきり言ってくれる人がいい。遠回しに言われてもわからないし。

私もどちらかというと考えは伝えるようにしたいし、そちらの方が望ましい。でも、結果的にそうもいかないことが数多くあって。私の特性がマイナスに働く可能性が高いことだけは、なんとなく知っている。正論を言うことが必ずしも好ましいとは限らない。思ったことをそのまま口に出して、それを許容してもらえるのはありがたいけれど、相手を傷つけたいわけでも悲しませたいわけでもなくて。相手に一方的に負担をかけるのはあまり良い関係じゃないと思うし、それは望んでいない。望んではいないけれど、私には間がどこにあるのかよくわからないから、どちらか選ぶことになる。

 

なんか、何も言われないのが一番怖い。仕事なら聞いて答えなければ特に無いということで気にしないからいいけれど。相手が私の言動や行動の何に対してどう思ったのか、どうしてそう思ったのか、場合によってはそれを受けてどうしてほしいのか。思考回路だよね。全部納得して、相手と接するときに無意識にそれを考慮するところまで落とし込まないと、上手くできないから。だからなのか、一方的に「それでいい」「自分がこうすればいいよね」と言われて終わらせられると不完全燃焼になりやすい気がする。とはいえど、私も逆の立場なら同じことをやりがちかもしれない。自分の場合はなんとなく、考えをあまり受け入れてもらえないような気がしていて。最近はそれもよくない気がしてきたので、気がついたらなるべく話すようにしているけれど、いざ相手の存在を意識すると自分が話そうとしている内容を受けて相手がどう思うのかまるで想像できないことに気がつく。それでも他の言葉が見つからないから、詰まって出てこなくなる。自分が相手を傷つけたり、相手に良からぬ反応を返されることを積極的に疑っているというよりかは、その逆が想定できないという感覚が近い。デフォルトでどちらを想定しているのかというだけだと思うけれど。結果的に、相手の気持ちを考えるということは、自分の気持ちよりもそちらを選ぶということになりがち。

たぶんプライベートで何も意識していないときは、何なら要らないことを言うくらいには普通に考えを話しているのだと思う。一方で、相手の存在を意識していると真逆の対応を取ったりする。自分が何かを伝えることで、何が起こるのかわからないというか。どこで切り替わっているのかは自分しかわからないから説明がしにくい。遠距離でのお付き合いは特にこれが発生しやすいように思う。元々色んなものが上手く拾えていないのに、相手の反応とかがよく見えないから拍車をかけるのかもしれない。どんな顔して喋っているのか想像がつかない。気が付かなかったら気にしようがないけれど、ちゃんと大切にしたいと思い始めるとそうもいかないというか。自分の気持ちを伝えようとするときも同様のストレスを感じやすい。会う約束を取り付けるとか、1年経って改めて気持ちを伝えるとか、何かを渡すとか、全部そう。意味がわからないくらい自分の中でのハードルが高くなっている。何も持っているものがなければ苦に感じないのだろうけれど、そうではないから。

今思えば、2年前もそういった性質が引き起こした事柄をきっかけとして、自分は人と付き合っている資格がないと感じて別れを考え始めたんだよな。自然な思いやりがなさすぎてなんか無理だなって。別にそれでもいいなんて到底思えないし。先天的に獲得できなかったものは後天的に獲得するしかないけれど、どこまでいっても欠けたままなのは変わらなくて。3年付き合ってみてもだめだった。今はそういった後ろ向きなものと綱引きをして保っていられる程度には一緒にいたいと思っているから、ぎりぎりまで自分なりの努力をしているだけで。付き合うということは、その人の1つしかない場所を埋めるということ。本当に私でいいのだろうか。

 

昨日、テレビでたまたまやっていた「君の名は。」を観た。公開当時自分は確か大学生で、知人と一緒に映画館に観に行ったのだけれど、然程印象に残ってはいない。

今観てみると見知った景色がいくつも出てきて、何だかんだ新しい土地に少しずつ順応している自分を知った。どのあたりにいるのかわかると、昔なんとなく都会だなと思った時とは違って、周りの雰囲気を思い浮かべながら楽しむことができた。いつの間にか、それぞれの街の区別がつくようになっているんだな。不思議。

誰かに会いたいと強く願ったことがなければ、物語の核とされている部分に感情移入できる余地がなくて。昔観たときはそこが皆無だったため、映像が綺麗だとかその程度の感想しか抱かなかったのだと思う。ロビーに出る途中、ちらほら泣いている人を見かけて驚いた。最後のシーンもなんとなくご都合主義のように感じた記憶がある。え、そこ会えるんだ、みたいな。それを会えてよかったと感じられた時点で、この6年で何かが大きく変わったんだろうな。とはいえど、あの話もどちらかが勇気を出さないとすれ違って終わっていただろうし、繋ぎ止められないようなもので。それまでのシーンも含めて、お互いがお互いのために行動していることが理解できたから、あまりご都合主義だと感じなかったのかも。いつの間にか、多少なりともそういうものを読み取れるようになっていたらしい。これも不思議。

物語の途中で、迷惑かなと思いながら人に会いに行くところにめちゃくちゃ感情移入してしまって死にそうになった。最後に声をかけるのが会いに行った側ではなく相手側なのも自然に感じるというか。受け入れられなかった経験から来る恐怖は、相手にそのつもりがなくても無意識のうちに残ると思う。近い状況下であればあるほど。それでも、恐怖と平然の中庸は勇敢なんだよな。最後に必要なのは一匙の勇気なんですよ、おそらく。

自分ができなくても、相手が埋めてくれたら結果的にそれでいいのかも。というか、そういうものは気が付かないだけで往々にしてあるんだろうな。逆に、相手ができなくても、自分が埋められればそれもそれでいいのかも。自分の気持ちに従って、一歩自分から踏み出せる人間でありたい。

 

以前、どんな人がタイプですか?と問われて、「自分のことが好きな人が好き」と答えている人を見かけたことがある。当時はわからないなと思ったけれど、今ならほんの少しわかるかもしれない。というか、単純に自分のことを好きじゃない人を好きになることはしんどそう。何を投げかけても響かない、手応えがないというのはつらい。ただ、先に好きになる側は大抵の場合自分を好きじゃない人を好きになるわけで。それに、何も気持ちを伝えずにいられるならその程度なのだろうかと思ったりもする。どうなんだろう。一度やってみて、それでも上手くいかなかったなら、二度目は実行に移すこと自体が難しいなんてことは往々にしてありそう。深い関係になりたいと言い出して拒絶されるの、普通に怖いかも。人によっては初めて明確な拒絶を知る瞬間なのかもしれないし。振られてすぐに他に行こうとする人のことが昔は全く理解できなくて、そんなものなのかなと疑問に思っていたけれど、他に行けるならそれも一つの正解なのかもな。未だに共感はあまりできないけれど、つらい上に気持ちを持ち続けても十中八九報われないだろうことは想像に難くない。

私も、去年断られた後に再度どこかしらで気持ちを告げられる勇気があったかと言うと、正直自信がない。むしろ、これで最後だと思ったからこそあれだけ言えたところはあるし。心のうちに留めておくことが困難で、どうしようもなかったというか。だから、ありのままのものを持っていって、断られて。でも、過去のことを持ち出されて諦め切れなくて。なんか、彼のことが好きな今の私を振ってほしかったんだよな。あの時付き合えない理由を滔々と語る彼は、私のことを見ていない気がしたから。その後ちゃんと話したことで、なんか本当に無理なんだな〜と一先ず納得して、それでもどう気持ちを切り替えていいのかは全然わからなくて。人を好きになるって何だか自分が自分でなくなるみたいだと思った。割って入られた? でも、最初は正直自分も半信半疑だったけれど、そのくらいの実感があったからやっぱり好きなんだなって納得できて。生半可なものじゃないというか、なんか想像と違うようで実際のところ全然違わなかった。ずっと知らなかっただけで。それなら、断られたからには頑張って無くさないといけないなと思った。数日後に持ったままでいいことになったけれど。いや、本当なんで付き合ってるんだろうな。ありがたいことに、10日ほどで終わりを迎えるはずだったものがまだ生きているらしい。あれで終わっていたら、どこかで別のものが始まっていたのだろうか。あまり想像できない。

1年経ったのにたまに思い出すくらいには諸々ぐさっときて、なんでそんなにダメージが大きかったのかなとなんとなく今疑問に思った。偽らざる本音だったからかも。それって隠しようがないというか。隠していると何も伝えられないから。仲のいい人にそうしているつもりはないけれど、そんなに自分に近いところの話ってしていないと思うし、これまでは無意識のうちに深い人付き合いは避けていたのかもしれない。

数か月前にある言葉を言われて、それが自然と口から出るということは、今の私のことも少しは好きでいてくれているのかもしれないと思った。そもそも、今の自分が今のあなたを好きになったって言ったのに、実際は知らないことばかりだったりして。今まで自分は何を見ていたのかなとか、話した内容を覚えられなかったりだとか、愕然としたり。というか、大学に入ってからの彼のこと、全然知らなかったなと思って。たまに会う分にはそこまで変わっている感じがしなかったから、何も思わなかった。いや、むしろようやく相手のことをある程度知られる関係になったのかもしれないけれど。あとは単に私の認識が変わったとか? 兎にも角にも、もっとちゃんと知っておきたいから、自分なりに話す回数は少なくても深く関わろうとしているつもりではある。

何だかんだ1年間ずっと好きだった。この1年ほどで自分は色々考え方とか変わったように思うし、あちらもそれなりに変わったようだけれど、私は気持ちを持ったままで。付き合い始めてから改めてそう感じた瞬間も、何かきっかけめいたものがあるのかと問われていくらか思い出せるものもある。その一方で、好きなものは好きだし、別にそこに理由らしい理由はないような。ないというか、頭で考えなくてもわかるくらいには好きというか。よくわからないな〜と長年ずっと思っていたこともあり、傍からだとそうは見えなくても、せめて相手には少しくらい伝わっていてほしいかもしれない。

私なりには伝えようとしているつもりなんだけれど、あまり手応えがないからよくわからない。というか、おそらく「会う機会が少なすぎてよくわからない」が正解なんだろうな。会ったときのことをよくよく思い出してみると、彼なりに色々してくれているのはなんとなくわかるような気がしてきたし、一緒にいるとほっとする。単純に、私の感覚が遠距離向きじゃないのかも。彼が一度も会いに来ない理由がどこにあるのかは結局よくわからないし、遠距離も終わりが見えないし。何かのついでならと言っていたな。何だかんだ私はいつも家族や祖父母の様子を見に行くことも兼ねていて。彼と会うこと以外に、それも帰省する理由として大きく(私はどちらもついでという感覚ではない)。他にも友人たちと会うとか。そう考えると、付き合っている相手に会いに行くだけのために動くって、確かに結構勇気が要ることかも。何を手段として使うにしろ、移動には体力も気力もお金も必要で。あとは、相手の予定ありきで決めなければいけないし。私もそこまでのことはやったことないや。そんなに不安にならなくても私が会いに行けるときに会いに行けばいいのかな。そうかもしれない。…気持ちがあるからそうしていることくらいはわかってくれていると嬉しいな。