手を繋ぐということ

おすすめされた本を読んだ。飽きっぽいとか、なくなってしまいそうとか、なんかわかるなあと思って。人への好意は生ものな気がする。なくなるときは一瞬な気がしていて、だからあるうちにあるだけ渡しておきたいなと思い続けて早数か月。気持ちを伝えることすら満足にできないまま。先があることを信じて気持ちを伝えるって、めちゃくちゃに難しいな。これが最後だと思えば簡単だったのに。相手に甘えているのかな。

最後のシーン、なんとなく昔のことを思い出した。こう、人のことを好きになるってどういうことが知りたくて、実際に人と付き合ってみて。ちょうど大学生2年生の頃。でも、自分の中にそういったものがないままの付き合いが上手くいくわけでもなく。スキンシップ、相手が求めるがままにしてみたんだけれど、何も感じなかったんだよな。そういうものってこう、自分から望む人が多数いるくらいの何か特別な感覚があるんじゃないかって、知識だけを根拠としてなんとなくそう思っていて。曲がりなりにもお付き合いしているのだから、ある程度の経験をする可能性は覚悟の上で付き合った。でも、実際にしてみても本当に何もない。相手が異性という意味では何も思わなかったわけではないけれど。緊張とか諸々。でも、手を繋ぐって、なんか。端的にそれで何が満たされるんだろう。身長も手の大きさも違うのに、わざわざ手を繋いで歩くことの意味を当時の自分は何も見出だせなくて。無理に広げられた指と指の間が痛む。それが自分が初めて経験した異性とのスキンシップだった。

先日、帰宅途中に手を繋いで歩く男女を見かけた。特に目を引いたのは手の繋ぎ方で。というのも、俗に言う恋人繋ぎとかではなく、男性の指2本だけを女性が握っていた。手を繋ぐって、痛みを伴うイメージが自分の中で強いから好きじゃなくて。そんなに私の手は大きくないし、一方で彼の手は大きいように見えたけれど、普通に繋いで上手くいかなくてもあのやり方ならできるのかなと考えたときにふと、彼と手を繋いでみたいと自然に思っている自分がいることに気がついた。

今、手を繋いでみたいと思ったとして。ちらっと脳裏をよぎるのが、また自分が何も思わなかったらということで。自分の気持ちを疑うことは全然ないんだけれど、それでも。それでも、手を繋いでみて何も思わなかったら、なんか嘘なんじゃないかって気がする。それを確かめるのが怖いのかもしれない。付き合うことで形だけ無理に変えても、なるべく努力はしてみても、異性と触れ合うことを心の底から受け入れることはできなかったから。正直、その行為に自分が何かを見出だせる自信があまりなくて。今の私と5年前の私とはとっくに違う人間なんだって、特定の人と手を繋いでみたいと思えた時点で変わっているんだって、頭でわかってはいるものの。だからなのか、本を読んでいて、そういった未知のものに対する恐怖を乗り越えて幸福を感じるようになった主人公に思いを馳せて、少し羨ましく思った。