2022.04.30

自分のためだけとはいえ文章の形にすると、一読した時に内容が飛躍しすぎて後から読んでも特定できなさそうとか、ここは言葉の選び方を変えた方がより正確かもとか、少し客観的に見られる気がする。もしかすると前にも似たことを書いたかもしれないけれど、普段物事を考えるときにあまり言葉を用いていないから、出力するには一度考えて言葉に直さないといけなくて。それでも、やっぱり最後は言葉だと思うし、言葉が好きだから。言葉に直す機会を作るようになったことは、わりと自分にとっていいことではある気がする。できない部分まで無理にはしないけれど。



あれから8ヶ月ほど経ったのか。なんか今でも思い返すと笑ってしまうな。人間、いつ何があるのかわからない。3年半どれだけ悩んでも結局手に入らなかったものなのに、ああこれかって、ある日あっさりと腑に落ちたんだから。今では当たり前のように存在するそれを、いつ失くすかはわからないから、できることをできるだけやったつもり。まあ、あんまり上手くはできなかったんだろうけれど。

もっと具体的に伝えるべきだったのかもなって思ったりする。なんか、付き合ってくれって普通に言葉足らずだったなって。ちゃんと考えると1つではなくて、2つなんだよな。私の中でのお付き合いとか、恋人という関係性の定義? 恋人という言葉、想い合っていることが大前提なイメージが強くて、しっくり来たことが人生で一度もないんだけれど、便宜上この言葉を用いる。お付き合いしている相手くらいの意味。2つというのは、結婚の可能性と、自分の気持ち。前者。元々は、添い遂げる可能性のある人のことだと思っていた。友人と恋人って何が違うんだろうって考えたときに、自分で理解できるものとして思い当たったのはそのくらいしかなくて。もう少し具体的にすると、0と1で判別できる形式的なもの? 結婚相手の要件は人によって色々あるのだろうけれど。よくありそうなものは相手の気持ちとか、容姿とか、経済的なものとかなのかな? 要件の中で自分が重視するものを持っている人を選ぶのかなって。肉体関係の有無とか、結婚前に同棲するしないとか、個人の価値観に根付くものもこちらに近い気がする。合わないと致命的だろうし。結婚を先に置いた形でしか真面目に考えられなかったから、高校生の時にそんな感じのものがぼんやり生まれた。一方で、一般的にそれは好きな人同士で結ぶ関係性だということは、気持ちがなくても知識として持っていたこと。こちらの理解は、それを獲得した(と思っている)今ではもう少し進んでいて、気持ちだけで選べることもあるんだと思う。関係性と相手への理解とは密接に関わっていると思っていて、少なくともどちらかが関係を深めようと思わない限り進まないのだけれど、そのことを表明するのも受け入れるのも、双方に気持ちがなければ厳しいと思う。というか、どちらかというと想っているだけでいいなら付き合う必要はないから、わざわざ合意する理由はそこだと考えているだけかも。最初は確証がない中で一方がやらないと始まらなくて。その後は、まあ最初は合意したという事実だけでいいのかもしれないけれど、相手の気持ちを知っていくためには、相手への理解が土台として必要だよねっていう。お互いに。自己の共有に近いのかも? 精神的なものだけを共有するにしても、ある程度時間や空間を共有する必要があるけれど、みたいな? ちょっと適当というか、雑すぎるかも。なんというか、合意したことが最低限の保証になる感じ? 勿論相手の考えによるし、それが何かはわからないけれど、それがあるからお互いに深くまで踏み込むことも踏み込ませることも許容できる、みたいな。人によって精神的な部分だけだったり、肉体的な部分までだったり、程度だったりは異なるかも。イメージはあるんだけれど、言葉にするの難しいな。

噛み合わないこともあると思う。この2つ。前者優先なら先を見る付き合いになって、後者優先なら今を見る付き合いになる。まあ、だから付き合っているけれど結婚はできないねとか、結婚を見据えて付き合ったけれど上手くいかなかったねというケースも世の中には当然発生するとは思うんだけれど。今は遠距離だから何かしら先を見るしかなくって、でも先を見る見ない以前に相手のことを深く知ることすら難しくて、どうすればいいのかな、といった感じ。

付き合ってくれという言葉は、端的に相手もそう思ってくれているかどうかを確認したつもりだった。どちらか近いものがあるのかなって。まあでも、当たり前なんだけれど、他の人には私にあるものが両方ともないかもしれなくて。どれだけ自分にとっては当たり前な感覚でも人によって異なるということ、頭の片隅に意識して置いておかないと忘れてしまうから昔から意図的にそう考えるようにしているんだけれど、上手く適用できてなかったな。今はもう学習した状態だから原則としては大丈夫、だと思うのだけれど。余裕がなくなると消えるかも。兎にも角にも、相手に選んでもらうなら、何を申し込んでいるのかもっとちゃんと言葉にしておくべきだったのかもなって、思ってる。なんか全然わかってなかったなって思っているけれど、今も全然わかっていないんだろうな。どうでもいいけれど、申込みって言葉に引っ張られて仕事のこと思い出しちゃった。今回は完璧に片付けてきたから問題なし。

そういえば、年末に会ったことがその証明にならないのかって、個人的にはそう思いたかったけれど、できなかったんだよな。好きの一言も、忙しい中1日時間を作ってくれたことも、どちらを持ってしても、それまでの数々の彼の言葉等を自分の中で引っくり返すことができなかった。諸々ないって言われたの、別に何も思わなかったわけじゃなくて。同棲とかご飯食べに行けるのにとかも、言葉だけ見たら嬉しいけれど、それと以前の言葉とどう整合性を取ればいいのかがわからなくて。私にはちぐはぐに映るから、端的にそれって何なんだろうって。勿論時系列だって双方の考え方だって異なるのはわかっていて。でも、言葉なくして理解できるほどの時間も前提も共有できていないんだよな。訊かないとわからないなと思ったから質問したけれど、はっきり答えてもらえなかった。答えづらい質問だったのかな。悪いことしたのかも。最近は会う時間も話す時間も充分に取れないから、考えても仕方ないのかもなって少しずつ思うようになっただけで、ずっと色んなものが引っかかったまま。そうは見れないとか、幸せにしたいとか思わないとか、私は特にそうだって言われているんだよな。そこまで大それたものじゃなくても、私は漠然と色々思っていたから、なんか。

両面的なものがあるのかな。でも、肯定的なものは「好き」以外に具体的に言葉にされたことがなくて。気持ちも減っていると言われた。付き合っているはず、なんだけれど。「自分が好きな人の特別になれるならなりたい」って言われたことは間違いなく嬉しかった。でも、私は彼の特別なのだろうか。私が気がついていないものがたくさんあるのかな。その可能性もありそう。なるべく知っておきたいんだけれど、自分にないものはあまりわからなくて困っている。

あんまり表に出ていないかもしれないけれど、たぶん内心はめちゃくちゃ嬉しかったんだよな。通話中、付き合ってから最初に好きって言われたとき。あまりにも感覚的で、そんな感覚知らなかったし、そもそもそう言われたことが想定外だったから理解が追いつかなくて。なんか思い出したらちょっと嬉しくなった。今、結局それが何なのかよくわかっていなくてもそう思うってことは、やっぱり当時も嬉しかったんだと思う。

あの時言わなければ素直な気持ちを伝えることはなかったと思うから後悔はしていないけれど、もう少し適した伝え方はあったんだろうな。それでも、あれが私なりの精一杯だった。随分前に言葉選びについて言及された時に、彼が好きなのって、あくまで彼の視点から見ていた過去の、一線を引いた私だったのかもなって一瞬思ったりして。実際のところどうなんだろう。折角会えるのなら楽しく過ごしたいし。いくらでも時間やエネルギーがあれば訊いてみたらいいんだけれど、そうじゃないもんな。遠距離って難しい。なんか最近は特に謝られてばかりな気がする。無理に付き合わせても悪いし、連絡とかももうしない方がいいのかも。忙しいらしいし。私から連絡を取らなくなったらこのまま終わるのかな。


どうでもいいけれど、羽田空港の途中にある国内線行きのエスカレーターが好き。待合い行き?の隣のエスカレーターより長くて、行き先に何があるのか見えなくてわくわくする。何がその先にあったのか覚えていないから毎回わくわくしている気がする。これで3回目くらい?


単純に、特定の事柄に関して、そもそも何も見えてないからこそ極端でいられる部分もあるのだと思っている。今もおそらくそう。それが自分の本質にかなり近いことは理解していて、一概に悪いことだとも思わない。でも、最近ようやく少しずつ何かが広がってきた感覚を持ち始めて、その上で自分の意志でもって選ぶなら。それ自体は結構難しいことではあるけれど、そんなに悪くない気がしている。10年以上ずっと悩み続けていることもちょっとは無駄じゃなかったのかもなって。でも、それだけでどうにもならないこともあって。結婚とか子どもとかのこと、やっぱり今から考えないといけないのかな。まあ嫌でもめちゃくちゃ考えてるんだけれど。自分の中での感覚の芽生えがスローペースだから、わからないなりにそうしたいと思うまで待つと何かが手遅れになるんじゃないかって。本当にこんなにゆっくりでいいのかなって、ずっと思い続けている。まあ、焦ったところでわからないものはわからないんだけれど。ないものはないし。

肉体関係のないお付き合いをしたいと言っていたから、私がそう思うときが来たら彼との関係は終わるのだろうか。いつか選ばないといけないのかな。…いつでも見限ってくれていいって最初に言われるまで気持ちを天秤にかける発想なんて自分にはなかったんだけれど。あちらはそれでも何も思わないのかなとか考えてちょっと悲しいけれど、選ばせてくれるって1つの思いやりの形だよねって、勝手に都合の良い解釈をしている。本当のところはよく知らないけれど。いやでも、そういえば別れた方がいいって一度言われたな。うーん。あれを言われたときに真っ先に思ったのは、別れたいのかそうでないのかどちらなんだろうってことなんだけれど。結局どちらだったんだろうな。謎。


お土産として買うものを1つだけ既に決めていた。時間がなかったけれど、無事目当てのものが見つかってよかった。あちらでゆっくり味わってもらえればいいな。食べたいって言っていたらしいし。まあ他の人も同じこと考えているかもしれないけれど、いくつあっても困らないだろうから。いや、困る人が1人いるか。その時はおいしくいただこうかな。その方が喜んでくれるそうだし。食べ物を食べられる状態って、何気なくありがたいことだよな。いつか私にも、何も食べられなくなる時が来るのかな。あと何食食べられるんだろう。60歳までだとすると、あと35年として、大体38,500食くらい? そう考えると結構多いような。


合間に別のことを考えていたら、もはや何の話かよくわからなくなってきた。まあだから、少しずつしかわからないけれど、違っていても、むしろ違っているのであればこそ、なるべく知っていきたかったってだけで。私のことだって。彼のことだって。

今体調があまり良くないから、少し引っ張られているのかも。ど真ん中のつもりだったけれど、改めて書いたものを読むと若干ネガティブに拍車がかかっている気がする。まあでも、案外そこまででもないのかな。また後で読んでみないとわからないかも。

少しずつでいいからもっと広げていきたいな、自分の感覚。人から貰ったものを理解するための方法を他に知らなくて。私に足りなかったものが何なのか、もっと知っていきたい。ずっと考え事をしていたら読みたかった本を持ってくるの忘れてた。まあいいか。帰りの飛行機で読むものだけどこかで買えば。