一考

3時間しか眠れなかった。お酒を飲んだわけでもないのに両脚が痛すぎて二度寝ができない。この手の脚の痛みは幼少期からたまに発生していて、いつも温めても何をしても改善せず、原因すらわからず。どうしようもないので、ここ最近考えていたことを一部文章に起こしてみることにした。大部分は「自分の感覚と他人の感覚との差異について」なんだけれど。




自身の感覚が世間一般のものと乖離しているように思う。そして、会話をすると当該部分が如実に現れてしまう。人との会話はルールがわからないマインスイーパーをしているようなイメージで。地雷を踏んで初めてそこに地雷があることを理解し、謎の数字の意味を推測し続けるみたいな。そんな感じなので、自分が人と関わると相手に負担をかける可能性が高いものの、それでも関わり続けてくれるのは、何かしらのメリットを見い出してくれているからなのでは?と考えていた。それが、11月に「会いたいとも話したいとも思わない」と言われて、その前提が崩れて、常に相手に負担をかけているのではないかと思い始めて、純粋に楽しむことだけでなくどうしたら相手の負担を最小化できるかを考えるようになった。

大学に入ってからも連絡がつかなかった期間を除き彼とは関わっていたが、やはり名目上でも距離感が変わると見えてくる部分も変わってくる。元々彼のことは付き合い始めた当初から積極的に知りたいと思っていた。それに加えて、負担をかけないための方策を考えるためには相手にとって何が負担になるかの情報が必要で、でもその情報を得るためには通話等の接点が必要になる。色んな話をして、でも仕事終わりだからか自分の感覚にないからか、寝て起きたらあまり内容が頭に残っていなかったり。前もこの話したよね?と言われて申し訳なく思ったり。自分の感覚にないものを質問する術が思いつかなかったり。自分の感覚的に気になったことが相手にとって気にならないこともあるわけで、指摘すると負担に感じるかもしれないと思うと即時に指摘できなくなってもやもやしたり。感覚の話なのか、考え方の話なのか言葉からあまり区別がつかないから。自分に見えないものが相手にとって見えているだけなら、なるべくそれを否定したくない。


自他の感覚について。自分と他人の感覚はかなり違っているように思う。勿論皆それぞれ固有の世界を持っているのは当然だが、通じないことが多すぎる。本当に何も聞こえていないのにこちらは言ったから聞こえていないはずがないと否定されたり、目が合ったのに無視しただろうと責められたり、言われて改めてその存在を意識して見てみると全く見えていなかったものが見えるようになっていたり。大抵それは注意(意識?)の向き方が人と異なることで発生している気がする。昔からそういったことが非常に多く、会話の前提となる認識が噛み合わないだとか、人の感情を上手く読み取れないだとか、こと人間関係のトラブルに繋がる。嘘をついているだとか、悪意があってそうしていると受け取られることも多くて。でも、そう見えている人の方が多いから相手はそれが正しい見え方だと微塵も疑っていなくて、そこに悪意があるわけでもなさそうで。そして、いつの間にかそういうものなんだと諦めて、自分の感覚を素直に相手に伝えることを避けるようになった。最初は違和感の正体がわからなくて、否定されるのが不快だから人に自分の感覚を話さないようにすることでそれを果たそうとしたのだけれど、中学生のときに人と話すことの楽しさも知って。それでも誤解されることは日常茶飯事だったから、相手の感覚と自分の感覚との差異を正確に理解することができれば、自分の感覚自体を開示しなくても考えなら相手に分かる形で出力できるようになるのではないかと思った。その時から「相手にわかる形にしないと伝わらない」と思っている節があり。私にそれがないと言うためには、ないものを正確に理解しなければならない。「目が合ったのに無視された」という相手の主張を理解するためには、まず「目が合ったのならば、相手も当然目が合ったことを認識している」という相手の感覚を私が理解する必要がある。それを理解して初めてこちらも説明するなり詫びるなり反応することができる。感覚としてないものが何なのか瞬時にわかるわけじゃないからその場で指摘することはできなくて、でもそこで私の感覚を主張しても(大抵相手は怒っているので)平行線を辿るのは目に見えているから、もやもやしつつ諦めて後から何が違ってそう言われたのか考えるだけ。目が見えていないから認識できていないという理屈なら簡単に理解してくれるかもしれないけれど、見えているのに認識できていない、だと途端に理解してもらえないんだよな。まあ気持ちはわからないでもない。

普通にそんな出力とか不可能なのはわかっているんだけど。ただ、感覚(認識?五感?)を否定されることは正直自分にとってそこそこ地雷で。自分の意見とか考えとか受け取り方とか、少しずつ変えられるものを否定されるならまだしも、五感を否定されたらどうしようもない。私にとっての世界はそこから生まれたものでしかないし、それを否定されることは普通に悲しすぎる。あと、それは逆の立場で考えると一歩間違えたらこちらが相手の感覚を否定することにも繋がりかねないわけで。気が付いていないだけで、たぶん私がそうしていることもある。諸々踏まえてあてのない努力をする方がまし、だと思っていたんだけど…。今思うと、この諦めがあまり良い方向に働いていないのかもしれない。結果的に自分の感覚を言わないまま、何を気にしているのか伝えないまま、相手の感覚だけ聞き出そうとしている気がする。どうすればいいかわからなくなってきたのでとりあえず練習がてら文章で開示してみた。

見聞きしているものが人それぞれ違うから話が噛み合わないことがあるのは当然で。でも、一般的な感覚もわからないから結局推測ありきになってしまって、その加減が難しい。自分の感覚自体はそれがメリットだと判断できたら即座に開示できる。仕事ではそれを理解してサポートしてもらうことが必要不可欠だと感じたから、今の部署に配属されてすぐに上司にこれまで把握している自身の感覚の特徴を伝えたし、実際にその試みは上手くいっている。目的のある付き合いならそれでよくて、だから、難しいのは目的のないプライベートの付き合い。共通した目的がないからそこまで割り切れない。元々彼には素で接していたから初めはあまり気にしていなかったんだけれど、11月から気にし始めた。感覚なのか考え方なのか受け取り方なのか、何が自分と異なるのかわからないからそこを推測して質問する以外にはめちゃくちゃざっくりとした質問を投げるしかなくて、それもそれで困らせてしまう。何を気にしているのか、何に困っているのかを話せていたらよかったのかもしれないけれど、そのタイミングで伝えるのを避けてしまったことが今の悩みに繋がっているのかな。自分なりに良い関係を築けるように努力していたつもりだったんだけれど、ベクトルの方向がかなり間違っていたかもしれない。10年ほど、そうやってほとんど相手に自分の感覚を伝えることを諦めたまま日々を過ごしていて、もしかすると今が別の方法を模索するタイミングなのかも。


年末に墓地を歩いたことを人に伝えて否定的な反応を受けたときは、彼に何も文句を言われなかったことに思い至って安堵したりもした。私が色んなものを感じられていないから気にならないだけで、彼も気にするものなのかと一瞬思ったから。実際どうかは知らない。気になることがあったら適宜伝えてくれているんだろうか。何度か苦手なことを伝えてもらったことは覚えている。でも、それってちゃんと理解できているんだろうか。私の感覚だと要件や射程がずれていたりしないだろうか。迷惑をかけたくないものの、負担を上手いこと軽減する方法がわからない。こうやって気にしているとただ負担なだけなんじゃないかと思えてきて。私は話したり会ったり何か喜んでもらえると楽しいし嬉しいんだけれど、話したり会ったり幸せにしたいとも思わないらしい彼は付き合っていることで何を得られているんだろう。思い切って訊いてみればいいのかしら。