一日

昨日の朝のこと。どうしても昔の記憶に思い当たって気分が悪くなる。通話を終えて、ぼんやりして、会社に行くためにお風呂に入らないといけないことを思い出した。寝る前に沸かして、冷たくなってしまったお湯だったもの。そのまま入って追い焚きをしながら考えごとをした。徐々に温かくなってきた頃、自身が担当として参加する会議があったことを思い出し、あまり余裕のない時間にお風呂を出た。湯船から出るとき、気力が削られるのを初めて実感した気がする。外は寒かった。ここ数日で一番寒い気がする。深夜に話した彼のことを思って、申し訳なさを覚えた。酷いことを言ったんだろうなって。



お昼休み。考え事をしながら、気持ちが揺れたら人のいない非常用階段を無意味に歩いたりする。たぶん変な人になっている。

少しでも口に出せるとは想定していなかった。誰にも言えないと思っていたのに。隠そうと思えば思うほど、あまり良くない方向に思考が向かうので、無理やり話してみようと思った。話していない部分は、基本的に受け入れられないと思っている箇所だから。一瞬詰まって、胸の痛みを感じながら無理に口を動かす。相手にとって関係のないものを一方的に聞いてもらって、迷惑なだけなのに。それにしてもサンドバッグは言い得て妙かもしれない。実際のところどうだったのかはもうわからないけれど。第三者からはそう見えるくらい酷いことを言われていたのだろうか。わからない。年末からぽつりぽつりと文章という自分にできるぎりぎりの形で開示しながら(口頭だと口に出せなかったり、普通に恥ずかしかったりする)、その度にこんなに自分から見えている世界って歪んでいるんだなって自覚して、自分がもっと嫌いになる。別に会っているときは何も疑う余地もなくて。それでも、何も見えなくて何もわからないから、離れているときは悪い方向に思考が進むのかもしれない。何かがあっても気がつかないのが怖いから、見えないところにも何かあるんじゃないかと疑って、気がついたときには本来ないはずのものにまで勝手に色がついている。

断絶している感じがする。歳の近い妹とその頃の話をすると、決まって「渡航前後で性格が変わった」と言われる。渡航前の記憶は1つを除いて三人称視点でしか出てこない。でも渡航した後の自分も何だか自分のように思えない。15年以上前のことは遠すぎる。なんとなくセットで思い出せるのは強烈な不安と恐怖。言語がわからず、相手の考えがわからず、自分の身体のこともわからない6〜7歳児。まあ不安にもなってもおかしくないよな。そう頭でわかっていてもどこか他人みたいで、自分と地続きな感じがしない。涙は出るからかろうじて自分のことだとわかるような。



仕事帰り。お気に入りの本屋さんに寄った。彼に以前薦められた本を買おうとして、ご年配の人の良さそうな店員さんに著者と作品名を伝える。なんとなく雰囲気に覚えがある。PCを操作して、眼鏡を外して、画面に顔を近づけて目を凝らす。どうやら目当ての本はなかったようで、結局抱えていた同じ作者の別の本をその店員さんに提示して買った。タイトルに惹かれたから。彼が言っていたことを参考に、最近あらすじやタイトルで気に入った本を買うことに挑戦している。意外と目を向けてみたら興味のある本があったりして、不思議な感じ。今まで目当ての本以外見えていなかっただけかもしれない。お会計を済ませて、スマホをポケットにしまって、財布をリュックに入れようとしたときに聞こえた一言。「息子さんはよく来られるんですけれどね。」一瞬考えて、返事をしたらタイミングがかぶった。「「池澤夏樹」ですよね。」お互いに少し笑いが漏れる。

お気に入りの本屋さんの、おそらく本が好きなご年配の店員さん。最初に来たときにそこまで有名でもない純文学の作品の名前を伝えたら、調べもせずにすぐに連携して持ってきてくださった。この作品はこの賞を取りましたよね、なんて仰って。本が好きなのかなって思った。買った本を抱えて、そんな1年以上も前のことを思い出し、ちょっと嬉しくなる。大きな書店の方が品揃えがいいのに、ネットで買う方が確実で簡単なのに、このお店で本を買う理由。本が好きな人から本を買う。同じお金を払って同じ本を買うにも、それ以上の何かを得られた気がして心が温かくなる。あとは、本が好きそうに見える、というのはこういう感じなのかもなと思ったりして。

そういえば、読書するときの感覚がもしかすると近いのかもしれない。ニュートラルな状態。本はただ受け入れてくれるだけ。やっぱり読書は好き。



夜。仕事でこちらに来たあの人と海外にいたときの話をたまたまして、酷い気分になった。笑いながらなんてことないようにそんなこと言うんだな。それを言っていいのは私だけ。色んな意味で得難い経験ではあったけれど、そんな風には思ってない。でも確かにそう言ったことはある。つらかったという感覚すらすぐに引っ張り出せなかったから。今ならこう思う。そういった部分も確かにあったけれど、それは日常の中の何%なんだろう。でも、反駁する気分にすらなれなくて、「私はしんどかった」という趣旨の言葉だけ返した。たぶん伝わっていないのだろうけれど。同様のことを言われても、本心がすぐにはわからなかったときよりはましなのかもしれない。だって、今は少し思い出すだけで涙が滲んでくる。

そういえばそうだったなと記憶を辿る。一つは、こちらに来てから、料理をしてみたり、好きに楽器を鳴らしてみたり、こっそり電子ピアノを買って好きに弾いてみたり、やりたいことが増えたというよりはやりたいことがまた出てきた。一人暮らしが快適なんじゃなくて、実家にいるストレスが大きすぎたのかもしれないと気がついたのは、こちらに来てから1年ほど経った去年の春頃。確信したのは年末年始の帰省のとき。実家にいると、どうしても自分の感覚がわからなくなるときがある。もう一つは、昔はよく泣いていたなって。一人になって、去年から頻繁にわけもなく涙が出るようになって、最近理由に気がついて、少しだけそんな幼少期のことを思い出した。人に泣いていると知られることは今でもかなり怖い。めちゃくちゃ嫌。



今日の朝。持ってきた猪肉を焼いてくれた。獣を食べるにはものすごく手間をかけないといけないことを知っていて、お礼を言ってから食べる。甘くておいしい。ああいったことを言うのに、こうやって何かしてくれたりもする。昔はもっと波があった。理解できずにずっと疑問に思っていたけれど、歳を取るに連れて感覚的にわかるようになってきた。期待はあったかもしれないけれど、悪意はなかったんだろうなって。あの人の一部分について、おそらく家族の誰よりも私が近いものを持っている。昨夜もそれを感じた。複雑な心境ではあるものの、嫌いではないし、色々と感謝もしている。それでも、仮に何かが契機になって関西に移ることになっても、自ら望んであの人と暮らすことはもうない気がする。

今の自分は実家と程良い距離感でいられていると思う。何か引っかかることを言われても受け流せることも増えた。その発言に対しての感情をしっかりと持ったまま。最近になって色んな感覚が再び出てきたのも、歪みに気がつけたのも、実家を離れたことが間違いなく影響している。2年半前、関西にいることを選んでいれば、元彼と結婚することになったのかもしれないなと考えることがたまにある。そうだとしても、どこかしらで同じ問題に直面したんだろうな、とも。どちらにせよ悩むならなるべく早い方がいい。人に向けられるものはなるべくそのものに近い状態で受け取りたい。ふと彼の言葉を思い出して気が沈む。やっぱり理解できるようになりたいし、信じられるようにもなりたい。2年かけてようやく現状を少し認識できた程度だし、当時何かしら意図したわけでもなかったけれど、結果的に家を出たのは正解だったかもなと思う。今のところは。