2022.11.03

4連休、嬉しい。眼が重すぎて変な時間に寝てしまったから眠れない。

この数日夢見が悪い。なんとなく不安になる。夢騒がしというやつかも。幼少期の夢、津軽に行って刺される夢(なぜ津軽なのかは謎)、詳細は覚えていないけれどなんか不快だった夢。あまり寝た気がしないな。

 

最近、恋愛描写にある程度感情移入できるようになっていることに気がついた。どうやら恋愛要素が入っているコンテンツって世の中に多いみたいで。拾う機会が急に増えすぎて、(自分から見て)それっぽいものに触れるとあわわわわとなる。予想外の方向から飛んでくるというか。というか、本当に多い。 それだけ恋愛感情というものは共感できる人が多いものなのかもしれない。これまでは恋愛描写が入った瞬間によくわからなくて面白くないなと感じることが多かったし、そもそも全く拾えていないものも多かったのだと思う。そのうち慣れるのかな。

とはいえど、正直ちゃんと受け取れているのかはあまり自信がないというか。ずっとそういうものがよくわからずに周りとのずれも感じていて。言われた言葉を解釈してみても、自分の中に全く実感がないから的外れになることも多く。そういった描写も人からの好意も、自分なりに感じたものが適切な範囲に収まっているのかよくわからない。それでも創作はまだ個々人の解釈に委ねられているからいいけれど、現実に存在する相手に対してはそうもいかないから結構厳しい。自分の中で特別な意味を持っているものが相手にとってもそうなのかってわからないよな。

自分なりのものと相手のものにギャップがあることが想定できておらず、当たり前のようにあると考えていたものが相手になくて、みたいなことが今のお付き合いの初めの頃は本当に多かった。会いたいとか一緒にいたいとか、相手もそう思ってくれていると勝手に思っていて。自分の中でそれが特別である自覚があるだけに、勘違いだとわかるとなんだかいたたまれない。ただ、冷静に考えるとその1年前に自分は付き合っているのに何も持っていない側の人間だったわけで。人それぞれ違うという実感が元々あまりなかったことを差し引いても、ちゃんと考えてみたらそうでない可能性があることくらいはわかるはずなんだよな。いや〜完全に浮かれてた。ちょっとブルーになっていたこともあり、浮かれてたことにすら気がついていなかったけれど。とりあえず明確に言葉にされていないものは都合良く受け取らないよう気をつけることにした。なんか思い出したら恥ずかしくなってきた。なるべく相手の持っているものを見るようにしたいな。

 

人間、悪い方向に考えようと思ったらいくらでも考えられる、そう感じる機会が増えてきた。それはおそらく自分なりに経験に基づいて想像しているものなのだけれど、かなり偏っているというか。杞憂に終わることも多い。思考の癖。自分なりの根拠があっても、自分が持っているものより悪い方向に想像されていたら悲しかったし、同じように相手を悲しませるのは嫌だし。なんとなく良い可能性にも同じくらい目を向けられるようになれたらいいなと思う。一筋縄ではいかないだろうけれど。

 

とあるゲーム(エンディングまで見たのでそのうち感想を書く)で何も考えずにぽんぽん彼女を作って進めていたら、最終的に6股をかけることになって心苦しくなった。クリスマスもバレンタインも6人から連絡が来るんだよね。誰と会うのかを選ぶのに15分くらいかけた。自業自得なんだけれど。

キャラクターの色んな側面が見たいから敢えて恋愛方向に話を進めたのだけれど、なんか浮気する人の気持ちとか全然理解できないなと思った。確かにどのキャラクターも魅力的な部分があって知りたくはなるものの、ゲームだからこそだよな。現実で浮気する人とか、平気で二股かける人もそれくらいの感覚なのかな。ある種人の魅力をたくさん見つけられる人なのかもしれない。そう考えるとなんか素敵だな。うーん、それでも本質的には選ぶことだと思うけれど。人付き合いに割けるリソースにも限界があるし、たくさんの人をそれなりに大切にするのは難しいと思う。というよりかは、単純に相手もそのつもりでなければ合意が取れていないからまずいということだろうな。動機の錯誤。

自分の場合はそもそも気持ち的に嫌かも。なんでなんだろう。そういうものじゃないで終わらせるのは簡単だけれど、考えてみるとちょっと不思議。自分の中にある相手の重みと同じくらいの重みを相手にも感じていてほしいということ? それだと、今たまたま1人が好きなだけで、仮に2人同時に好きだったら変わるのかな。えーそれはなんか嫌。なんとなく嫌って、不思議だよな。そういうのが当たり前の社会でなければ案外何とも思わないのだろうか。それはそうかも。友人は多ければ多いほどいいのだろうと思うし。私はそうでないものにお付き合いという名前を付けているだけで。そうすると、「好きだから付き合ってくれ」だけだとやっぱり説明不足じゃない? 付き合って合うかどうか確かめるというのも、あながち実態としては間違っていない気がする。

何十年と特定の人を特別視し続けることは本当に可能なのだろうか。自分の身近にいる夫婦は皆仲睦まじいように見えるけれど、そういうものって当人にしか皆目わからないものだろうし。うーん。気持ち的なものと、子孫を残すという観点のものと、自分は結構混じってしまっている気がする。後者は経験がないからよくわからないけれど。この2つの最適解が必ずしも一致するかというとそんなことないはずなのに、なんでそもそも結婚という形で一括りにしているのだろう。特別な気持ちを向けていても、その相手が実際に生活を共にするのに向いているのかというと別の話だよな。とはいえど、好きじゃない人と一緒にいようと思うことなんてそもそもあまりないだろうし、誰とでも簡単なことではないだろうし、子どもがほしいなら産むのも命懸けだしな。どうせ命を懸けて産むなら愛する人の子を産みたいと考えるのはかなり自然な気がする。それにしても、お腹の中で育てて痛い思いして産んでって、相手は同じ経験ができないのにちゃんと2人で助け合いながらやっていけるものなのだろうか。生理痛や排卵痛ですらあまり理解してもらえないのに。うーん…。こういう風に考え出すと中々踏み出せないから、結婚は勢いとタイミングとか言われるのかな。一般的には好きな人と一緒にいたいという気持ちを積極的に持っているうちに試すのがいいのかもしれない。それか、お見合い等で周囲が積極的に干渉しない今の時代では、結果的にそうなるということかな。何の話だこれ。