なんとなく

時間と時期的にちょっと気持ちが不安定な気がする。去年のことを連鎖的に思い出して微妙な気持ちになったというか。少しずつ癒えているような気はしているし、当時の相手の状況に対する理解もかなり進んできているように感じているけれど、まだ完全に吹っ切れたわけではないのだと思う。とりあえず感じたことをそのまま書き残しておく。

 

当たり前なんだけれど、彼の日常に私はいなくて、私よりもたくさん関わる人なんて多数いるはずで。なんか、改めて付き合うってどういうことなんだろう。一緒にいたいってことじゃないのかな。よくわかんなくなってきた。少し前に、恋愛について、相手との違いを面白がることができたらいいのかもしれないと人に言われた。それは、自分と相手がお互いを大切にしようとしていて、特別な気持ちを持っているとわかっていることが前提だと思う。そして、それはある程度能動的に伝えないと伝わらないものなのかなと。私にとっての特別な気持ちは一緒にいたいとか、相手のことをもっと深く知りたいとかそういうもので。それは友人という関係では収まりきらない気持ちだから付き合ってほしいと伝えた。その気持ちをあまり分かち合えないとしたら、ちょっとつらいかもしれない。どちらかが自ら手を伸ばす気のないお付き合いはなんか不毛だし、対等じゃない関係はたぶんどちらの立場でも苦しい。というか、どちらの立場も知っている気がしていて、そのどちらも苦しかった。

相手のことを自然に気にかけられないのに、相手がそうしてくれるのは申し訳ないというか、何かが違うと思った。そんなつもりはなくても私が都合よく扱っているだけの状態になるというか、私が上手くそういう風に振る舞えなかったというか。自分に気持ちがない状態での遠距離恋愛はもうしないと思う。「別れたい」ですらなくて「別れた方がいい」と言われたこと、理由が気持ちですらないんだなと感じて惨めだった。彼がいいと自分から伝えたのに、そんなことを言えるくらいどうでもいいならなんでこの人は私と付き合っているんだろう?という疑問を当時は上手く言葉にできなくて、「なんで付き合っているんだろう」とずっと思っていた。相手にも、私にも。

今のお付き合いに限って言えば、付き合っているという結果だけを見て、同じ気持ちなのかなと特に引っかかりもなく思っていた私も大概だったんだけど。今は何度か相手にその話をしてもらったこともあってだいぶ理解が進んだと思うし、言われた側として気持ちの整理も少しずつ進んでいる。あの時の彼の心境は彼にしかわからないんだと思う。同じように、私の心境も私にしかわからない。なんか未だに残っているものがあって、具体的には何か好意をもって相手に働きかけようとする度に、またああいうことを言われるのかなと心の何処かで思ってしまうことがある。その障壁を乗り越えて何とか絞り出したものって、重みがのってしまうのかな。シンプルな気持ちの表れのつもりだったものも、どうも伝わっている気がしなくて。気持ちって何で伝わるんだろう。一方で解消されたものもあって、最近は会う約束をする際に、あまり余計なことを考えずに誘えるようになってきた。最初に寂しいとか会いたいとか、何も考えずに言っていた頃が懐かしいな。相手がそう思っていないなんて微塵も想像していなかった頃。確かに私はネガティブだけれど、自分にないものは適切に想像できないから、何も言われなかったらそんなこと考えようがない。自分にとっては好きという気持ちから出てきたものが、相手には「ない」と言われて、ろくに話も聞いてもらえなかったからなんか全然気持ちないのかもなと思っただけで(でも聞いてもらったとしても適切な言語化はできなかったように思う)。そんなこんなで去年から今年の前半にかけて破茶滅茶につらかったけれど、今は違うんだなって感覚的にも思えてきたような。少しずつ変われたらいいのかな。頭ではわかっているんだけれど、自分はあらゆるものがのんびりだから焦りが。ただでさえ遠距離なのに〜。

結局、当時は自分でもよくわかっていないまま自分の気持ちを重視して関係を続けることを選んだわけだけれど、その経験からか、なんとなくお付き合いってある程度双方にエゴがないと成立しないんじゃないかと感じている。私と一緒にいてほしいとか、そういうの。ないなら、結果的にお付き合いという形にならないというか。それが互いを選ぶということだし、選べないなら本当の意味では成立しないというか。簡単に言うと、それが何もなければ別に友人でいいじゃんと思ってしまう。

 

これは自分への戒めとして。相手がいる以上、受け身な状態でお付き合いをするよりも積極的な態度で恋愛をした方がいいと思う。自分から相手を何かしらに誘うといったわかりやすい行動が難しくても、それなら自分なりに相手を大切にするとか、何かしてもらったときに自分の気持ちを相手に伝えてみるとか、そういうことでよくて。まずは自分のできる範囲のことをやっていれば、少しずつできることも見えるものも広がるだろうし、鈍くても感覚的に相手の反応を経験として蓄積していけるように思う。要は、日常的に相手のことを考える気持ちと、働きかける意思を持つことが大切なんだと思う。特に私みたいな人間は。

 

この間予定が飛んだとき、残念だったと伝えてくれなかったこと。理由は聞いたけれど、伝えなければそう思っていることって伝わらなくて。伝えてくれるだけで、あちらも楽しみにしてくれていたのかなって方向に傾くのだけれどな。私の知らない周りの人に話していたとしても、私はそれを知り得ないし。たまたま知れたからよかったけれど、そういうものも伝えてくれたら嬉しいというか。その残念さを本当の意味で分かち合えるのっておそらく文脈を共有している私と彼だけで、そういったところから気持ちの目線?がお互いに合っていくような気がするのだけれど。そんなことないのかな。あまりの残念さにメッセージを見た瞬間布団にくるまるレベルだったのに、私が「残念だけれど」とか綺麗な言葉に直したから伝わらなかったのかな。あり得ないくらい残念だけれど体調もあり得ないくらい心配だからちゃんと休んでくれくらいでよかったのかも。でも、相手敬語だったしな。なんか距離感が難しい。文脈を共有できるものが少ないから、その一つ一つを私は大切にしていきたいし、時間だって本当はある程度割きたいし、何よりちゃんと関係を築き上げていきたくて。どうすればいいんだろう。