2022.11.11

今日は会議で喧々諤々やってきた。決戦の日だな〜と思っていたら本当に決戦だったな。戦わなくていいのに。こう、何でもそうだと思うけれど、対等に物を言わないといけないときがあって。的を射ていたら一意見としてちゃんと考慮してもらえるので、最近は何も余計なこと(今は発言していい場なのか?とか)を考えずに、シンプルに思ったことがあれば発言するようにしている。ただ、言い方とか順序というものはあって。

会議の後、同じ会議に参加していた上司と話したとき、「前提や話が噛み合っていないものも含めて、コミュニケーションが上手くいっていないとき、あなたはおしなべて『自分の主張が相手に伝わっていない』という感覚になっているのではないか」といった指摘を受けた。仰るとおりというか。私の説明から前提が抜けている場合はまだしも、見ている立場が異なるから異なる意見になったりそもそも着目している部分が異なる場合も往々にしてあるはずなのに、私の頭ではその可能性があまり想定されていなくて。どうすればお互いの認識を合わせられるのかいつも困っているのだけれど、上司の行っている方法を教えてもらったので、次回以降は意識していきたい。相手の立場や考えを軽んじているつもりはないのだけれど、自分なりの意見が固まっていればいるほどそこを強く主張しがちだから、もう少し柔軟にというか。相手の考えも訊きたいのに、あまりそうは見えていないんだろうな。反省というか、目から鱗というか。自分だけで気がつくのは結構難しかったと思う。ありがたい。

本当、コミュニケーション難しすぎる〜〜〜。それにしても、仕事を始めてからかなりましになった気はしている。周りの人から学ぶことも多いし、悩み事を話したら今回のように助けてくれる人もいるし。助けてくれる人が存在するなんて、想像したこともなかったな。まあ正確には、助けてくれるというよりかは仕事上のギブアンドテイクなんだけれど、それすら私には最初見えていなかったというか。

 

殻にこもっていたら外は見えないよな、と思ったり。以前はめちゃくちゃにこもってた気がする。無意識というか、それが当たり前というか、その自覚もあまりなかったというか。自分にとっては不可抗力に近いものが原因でそうなっていたような。(どうでもいいけれど、こもるって響きがかわいい。)今はそうでもないかなと感じていて、それはこもっていられなくなったからというよりは、どちらかというと殻にこもる必要がなくなったことに気がついたことが理由のような。とはいえど、そのきっかけはあるわけで。仕事は殻からちょっと外を覗くきっかけになったし、恋愛は殻から出るきっかけになった。そんな気がする。殻だけの何かから蝸牛くらいには進化したかも。

とうの昔におそらく多くの人が通過しているはずのものが私は幼少期からずっと止まったままで。偶然でも進めるようになったきっかけである彼には感謝しているし、そのくらい自分にとっては大きな気持ちであり変化なのだけれど、本人に対して言葉では上手く伝えられないだろうから仕舞いこんでいる。何もしていないとか言われそう。実際どうであれ、私にとっては意味があったのだからそれでいいんだけれど。タイミングとか色々あるんだろうけれど、自分だけではほぼ不可能だった。

殻から出るというよりは、勢いで無理やり破る感じだったかもな。なんか、結構自分は考えなしなのかもしれない。

 

「前に進めているんだね」という言葉、今なら心の底から受け入れられる。間違いなく進んでいる。そのくらい、この2年間で大きな変化があった。結婚ですらちゃんと相手のことを見られる自信がなかったのに、いつか結婚とか妊娠出産とか本気で考えるときが来るのかもな〜と多少呑気に思えるくらいには。実感が伴わないと諸々考えることすら土台が無さすぎて難しいのは重々承知しているので、時々こうやって自分の現在地や気持ちを見つめられるといいかも。結婚とか子どもとか、誰かを好きになる気持ちが根っこにあって初めて視野に入ってくるということすら、誰も好きになったことのない時点では全然わからなかった。頭では理解していたつもりだったけれど、まじで何も理解していない。誰かと添い遂げたいと思う気持ち、微塵もないのにどこかにその欠片があるのかなと闇雲に探していた頃と、何の延長線上にあるのかくらいはなんとなく見えてきた今とで、心の持ちようが全然違うというか。このままいくと自然に持てるものなのかもしれないと思えているの、わりと訳がわからない。

私、ニュートラルだと相手に説明したけれど、これって本当にニュートラルなのだろうか。変化に前向きなだけで実際にどうしたいと思うところまで気持ちが変化したわけではないので、ニュートラルで正しいのかな。でも、変化があるとしたらそう遠くもない気がするような。10年後とかではなさそう。いや、この2年で気持ちががらっと変わったからそう思うだけで、結婚したいとか子どもほしいとか思うまでには意味のわからないくらい高い山がそびえたっている可能性もある。逆に言うと、恋愛感情に関してはそのくらい険しくて何年かかっても手も足も出なかったものを一瞬でするっと通過してしまった感じ。

自分と相手が同一のタイミングで同一の気持ちを持つなんてことはまず無いと今ならわかるのだけれど、片方だけがそれを持っていることに気がついてしまったときはどうすればいいんだろう。まあ、その時はその時なのかな。中高生で恋愛とかしていた人も周りにいたけれど、こういうものをあの時期から少しずつ学んでいたのかな。なんか本当、自分はそういうものへの理解が遅すぎる…。

 

ちょっと過去のことに囚われ過ぎかなと反省した。確かに当時はかなりショックを受けたのだけれど、自分の気持ちがそれ以上大きくならないように言った言葉を、彼はちゃんと受け取ってくれていたんだなって。思ってもないこと言うんじゃないな。それを言って相手がどう感じるのか全然想定できていなかった。いや、でも向こうもそれは嫌かもしれないって言ってくれていたのに。申し訳ないな。強がりとか、結局自分の心を守るためでしかないというか。自分の考えも気持ちもちゃんと言わずに一方的にそういうこと言うの、まじでよくない。なんか、自分の気持ちをどうやったら小さくできるのか全然わからなくて、ずっといっぱいいっぱいだったな、あの頃。

多少はコンパクトになったものの、結局そこそこのサイズを保ったまま来ているような気もするけれど。密度は確実に大きくなったな。去年の私と今の私との間で、好きの意味するところも少し異なっていると思う。今はじんわりと喜び?を感じるというか。うーん。何なんだろうな、これ。何にせよ、こういう風に想える相手がいるって有り難いことだな。誰かを好きになるって、無意識のうちに心の一部を一方的に明け渡すことのような気がしていて。わかんないけど。受け取ってもらえるのかどうかもわからないのに、一度渡してしまったら二度とその場所は自分の手元に戻ってこないんだろうな、という予感。

彼の口から色々聴いているとなんとなく納得はして、でも少し不思議な感覚。変化、本当に私だけじゃなくて彼にもあるんだな。確かに夏あたりからかなり感じていたけれど、微妙に以前のことが引っかかっていて素直に受け取れていなかったんだなって、すらすらと口から出てきて自分自身やっと理解できたというか。それならそうやって言えたらいいのに、私には私なりに受け取れなかった理由があるってところしか伝えられなかった…。自分の考えていること、話の流れを踏まえた上で適切に表現しようとすると結構難しい。彼の変化は良い意味でたくさん感じていて。そんなに気軽にできるわけでもない話をちゃんと本音でできるようになったのは、彼なりに歩み寄ってくれていることを無意識のうちに感じたからだと思う。人間の感情が複雑すぎて、自分自身の気持ちへの理解が全然追いついていないかもしれない。

なんか、大抵のことは杞憂なのかもとか思った。悪い方向に解釈しすぎというか。ピンと来ないときはこうなのかなって色々考えるより、よくわからないな〜と置いておくくらいがいいのかもしれない。それに、人の気持ちは移り変わっていくものだと実感できてきた。今の彼のことを見ていきたいし、今の彼の話を聞きたいし、今の彼のことを知りたいな。

相手のことを疑うことが簡単なのは間違いないけれど、どうしても引っかかるものはそう伝えて解決の糸口を作るのも大事なんだな。話し合いは大切かもしれない。今はあちらから話しやすいように御膳立てしてくれているけれど、私もちゃんと問題解決の契機を自分で作れるようになりたい。問題が起きないのが一番だけれど。あと、相手も自分のこと知ろうとしてくれているんだなってなんとなく思った。興味ないって思っていたのが嘘みたいだな。あれも私の思い込みだったのかな。

 

生々しい話は苦手なのだけれど、自分に引っ張り出すような記憶とかもないから言葉そのままの意味以上でも以下でもなくて、真面目な話としてなら自分の価値観として普通に話せるなと思ったり。逆に極端なことは言えないからふわっとした発言にはなるけれど。昔はもっと苦手だったはずで。自分に見当たらない欲求を糧にして行うもので、それなのに女性側だけリスクが大きいって何?と考えていた。構造的に仕方がなくて、それでも漠然とよくないもののような。既にその時には性別に関連した嫌なことが何度かあったことも影響していそう。

自分の人生がかかったことを、一時の快楽のために行うことへの疑問。合理的じゃないなと。今は恋愛感情に合理性なんて視点は合わないことを知ったし、物凄く刹那的なものに聞こえていたけれど本当にそうなのだろうかとか、それでしかわからないものが存在する可能性もあるな〜とか、相手に触れたいと思ったことは確かにあるかもとか、少しずつ思えてきて。だから、誰かに対してそう思える時が来るかもしれないし、そう思えたらそれも悪くないかもなと最近は考えている。2年前に結婚を全然考えられなかったのはそこに対する忌避感?実感の無さ?も理由としてあったはずで、今は恋愛感情の延長線上のどこかにそういった本能的なものも含めて受け入れるというルートも転がっている気がする。なんか、愛情があるのは大前提として、この人なら身体を委ねても大丈夫なんだろうな、ちゃんと私の話を聞いてくれるし気持ちを大切にしてくれるんだろうなという、ある種最大級の信頼をして受け入れることになると思うんだよな。わかんないけど。言いたいことを言えないとか、対等な関係でないならまずいけれど、お互いがお互いを尊重できていれば大丈夫なんじゃないかなって。これは理想でしかないのだろうか。

あとは、お互い子どもができてもいいと思えるかだよな。絶対にほしくないと思うならするべきじゃない。そういった意味だと、やはり婚前交渉(ただし、婚約後はあまり問題ない気がしている)はない気がする。