主観

予想はしていたものの、改めて目の前に突き付けられてみると堪えるものなんだなって、他人事のように思ってみたりする。どこか上の空。他人事のようでも涙は出る。変な感じ。昔それを捨てさせる原因を作ったのが私であることは明白なのに、本当に自分勝手だなあ。何に対して泣いているんだろう。なんか何もかもが嫌になってきた。幼稚な自分から早く脱却したい。彼に負担をかけたいわけでもない。とりあえず一通りぶちまけるだけぶちまけたから、いただいた紅茶を飲んでクッキーを食べて落ち着いて。それからテグジュペリの「夜間飛行」を読んで。その後にゆっくりと考えよう。

「夜間飛行」、勇気がほしいときに読むんだよな。今まで読んだ中で一番好きな本。断られた次の朝にも読んで。やっぱり自分は望んだから取りに行ったんだって確信して。上手くはいかなかったけれど、正直に認めて取りに行けた自分を少し好きになった気がした。今でもそれを望んでいることは疑っていなくて、でもあの時の気持ちをちょっぴりでいいから思い出したい。







自分の中に好意がなくても結婚できるのか、ということを一昨年に3か月ほど考えて、できるかもしれないと思った。ただし、「好き」であることは要件から外して。人に向ける特別な感情を知りたくて、いつか相手を好きになれるかもしれないと思って付き合い始めて、結局3年経ってもそう言い切れるものは出てこなかったから、そう思えることは一生ないのかもしれないと感じていた。自分の中の結婚できるできないの最低限の基準は、自然と相手を一番に優先できるかどうか、ということで。お付き合いならいいかもしれないけれど、結婚はそれができないとだめ。結婚する時点で何かあったときに最優先で選べないのに、その先そうできるようになる自信がない。いくら情が湧くといえども。1人だけ選ぶのだからそう思える人といたいと考えて、当時の交際相手に対してそれはできないと思った。具体的には、色々考えると、彼の方を優先してしまいそうなことに思い当たって。感性に反しているから元彼を優先するというルールも定められない。でも、その時はそこから思考は進まず。彼のことをそういった可能性がある対象として一度も見たことがなかった。昔告白されたときも、結婚について考えた時も。自分の知らないところでかかっている枠組み。なんというか、あらゆる人に対して自分が付き合うとか結婚するとか、そういった可能性を想像することができない。頭では理解できても実感がない。昔の自分には人に向ける特別な好意がなかったから、5年前にわからないそれを伝えられても枠組みは外れなかったのだと思う。元彼とは色々あって付き合い始めてから、彼とは異なる角度から無理矢理に枠組みを外されている。けれど、その上でこの程度のものしか内にない状態だったから、今は人と結婚はしない方がいいなと思って、それだけ。


去年の8月に彼と会って話していたときにとある冗談を言われて、その時に無意識のうちに嵌め込んでいた枠組みが外れた。結婚という単語が出されなければ、たぶんそうはならなかった。自分なりに、実感を持つことのできる基準を考えたもの。外されて、ふと伏見を歩いたときのことを思い出して、毎日そんな感じの他愛もない話をしたりしなかったりしているところをなんとなく想像して、あれ?って。ここまで一瞬。この関係がいつまで続くんだろうなって呟きに、どちらか一方に彼氏彼女ができるまでなんじゃない?と答えて、答えてからお付き合いはまだしも結婚したら会うことすらできなくない?みたいな。彼とは一度連絡がつかなくなっているあたりそもそもその可能性はあるんだけれど、でもなぜかその時は戻ってきてくれて。だからなのか、ずっと当たり前のようにこの先も続くと思っていて。考えて、口に出して、初めてそうでもないことが感覚的にわかった。帰りがけになんとなく帰りたくないなと思って、そう発言した記憶がある。いや、なんか自分の感覚にすら鈍すぎない? もうちょっとしっかりしてほしい。

元彼とは遠距離になってから上手くいかなくなったのだが、それは今と真逆の事態が発生したから。寂しいとかそういったものは何もなく、連絡も別に取らなくても平気だと気がついた。近くにいるとなんとなく保てていたものが、遠距離になって一気に崩壊した。大学が同じで色んなものを共有できていたけれど、社会人になってそれもなくなって。何より、自分の目にはあの人が映っていないことが感覚的にわかってしまって。目に映るものにしか意図的に意識を割けない。それなら私にはあの人のほしいものはきっとあげられないし、私がそこに居てはいけない気がする。そう感じて気に病んだことが別れを考えるきっかけとなったくらいに。

だからこそ、東京に戻ってからこれまでまったく感じたことのないものを経験して驚いた。元彼とのあれこれに気持ちの整理がついていなかったから、それを整理しようと考えたのは本当。そうすると、芋づる式に結婚について考えたことが引っ張られてくる。連鎖的に8月の会話も。最悪の冗談に対する引っ掛かりを契機として彼のことが頭から離れなくなり、何だか一抹の寂しさのようなものを感じる。一人暮らしになってから複数人で暮らしていた過去を恋しく思うことはあった、でもそれは正直質が違うしそんな大したものじゃない。これってもしかして? でも自分は過去に一度彼の告白を断っているし、よりにもよって彼? もう7年とかの付き合いなんだけど、今更そんなことある? あまりにも意味がわからなさすぎて、気を紛らわせようと外を散歩してみたりして。でもどれだけ歩いても一緒に歩いたことを思い出して、いや本当にどういうこと?って。逆と言ったのは、彼を好きになるまでは別にそんなどうしようもない寂しさを感じたことがまったくなかったから。順番が逆。好きだから一緒にいたいと思ったし、寂しいと思った。そんな日々を1週間ほど繰り返しながら、終いには彼との関係がいつか終わることが耐え難いと感じていることに気がついて、さすがにそれ以外に思い至らないから認めた。Twitterにも薄々勘付きながらそれを認められていないときの呟きが残っていたはず。12月に自分の持っているものについて考えてほしいと言われたときに、残っているこれまでの数年間の呟きをすべて遡って確認したから間違いない、たぶん。

そういえば、なんでああいった言葉選びだったのか、ということの答え。私が人に向けるニュートラルなものは、その人個人を認識できない状態。±0。属性とかでしか見ていない。プラスやマイナスだと認識できる人もいる。でも、おそらく過去の経験がもとで、人から自分に向けられるものは基本マイナスで想定するのが私のベースになっている。その認知の仕方に加えて、昔彼の申し出を断ったこととその後連絡がつかなくなったことから、もう相手の中にそういったものはまったくないと思っていた。99%断られると思っていたというのはそういうこと。残りの1%は、他人のことだから予測できない何かがあるんだろうなと常に思っている部分。それでも伝えた理由は色々あって。一言で言うなら、自分の直感に従っただけ。明らかに異質なものを向けていると認めざるを得ない。隠すとしんどすぎて、無意識のうちにぐちゃぐちゃに潰して自分ですら認識できないところに持っていかれそう。そういう諦め方を感覚的に知っている。何より彼と一緒にいられるならいたかったし、その先に自分の幸せがある気がして。まあ、断られたんだけれど。引っくり返ったから、実感を持てなくても相手も多少なりとそう思ってくれたのかなって頭では考えていたんだよな。それは誤解だったのかも。自分の持っているものだけに照らして考えていた。

断られる想定でもショックなものはショックで。食べ物が喉を通らないってこういうことなんだって、物を食べないと記憶が飛んでちょっと面白がってみたりして。あれは現実逃避かも。当時現実逃避で謎の行動力が生まれ、3つほどできたことがあって。歯列矯正の開始、ヴァイオリンの再開、髪を美容師さんにおまかせで切ってもらう。どれも良い機会にはなった。とはいえど、実は髪を切ってもらったのは9月末のことで。でも、感覚的にはそこまで8月末と変わらなかった。相手から自分がどう思われているか訊けたのが10月くらいだったから。そこから別の悩みごとが開始。

たぶん選んでほしかったんだと思う。自分は一人選ぶなら彼がいいと思って望んで選んで、そう伝えたつもりで。自分のこともそうやって望んで選んでほしかったんだけれど、彼は望んではいなかっただけ。本当にそれだけ。私は彼がいいんだけれど。卵焼き作ってみたり、髪を巻いてみたり、そういうことをし始めたのもそれから。初めてそういったことも楽しめるかもしれないと思った。いや、我ながらめちゃくちゃわかりやすくて面白いな。もう、そういうの無理なのかなあ。私が断ってから2年ほど考えたって言っていた。「そういう風には見れない」って、やっと感覚的に意味がわかった。それと同時に私は8月末に何を言われていたんだろう。また1つわかっていないことがわかった。変化したものは往々にして不可逆ではあるけれど、どれだけこちらが伝えてももう新しくも出てこないものなのかなあ。今はまだちょっとつらいかも。一度だけ呟いた、私が好きなものは私のことを見ない気がするっていうの、気のせいじゃなかった。

話したいも会いたいもないと言うから、一緒にいたいもないんだろうなと前々から思ってはいたけれど。本当に望んでいないんだろうな。水は高いところから低いところにしか流れないから、相手が変わらずに自分が変わってしまった部分については何となく話してはいけないような気がしていて。それは会ったところで変わらない。だって、自分が前のお付き合いのときにそうだったから。相手が望むものを自分が与えられなくても、友人が言うように「愛されているから別にそれでいい」とは思えなかった。でもそれ以前の話だよなって。程度の問題ですらなくて。遠距離の間は私の望みは叶わないし、どのみち寂しいんだろうけれど、それでも望んで選んでくれたなら別に実感が伴わなくても本当にそれだけでいいと思っていた。でも、それがそもそもないんだってそういう話なんだよな。おそらく付き合おうが別れようが本当にどうでもいいと思っていて。たぶん私は望まれていなくて。そこまでわかったけれど、まだどう消化していいかわからない。変にそれを期待しちゃったからこうなっているのかなあ。人の気持ちわからないのに。

話を聞いて、それなら、何にも残っていないならそんな冗談言わないでよって一瞬思って、でも全部巡り巡ると自分のせいなのもわかっていて、本当嫌になる。私が決めて、その可能性を想定できていなかったのが悪いだけなのに、どこまで自分勝手なんだよ。勝手に期待して、勝手に傷ついてるだけじゃん。お互い逆の立場だったら私が追いかけるだけで済むのに。そうしたら1年後には状況が変わるだろうって目処が立つ。びっくりするくらい何もかも綺麗に噛み合わない。好きな人と結婚するために、相手に合わせて関西に就職を決めた知人の方を思い出す。あの人は幸せなのかもしれない。東京に来てくれないかなってたまに思ってしまうのが嫌。本人が望んでないのに来るわけないじゃん。住むのなんてなおさらそう。相手には相手の事情があるのに。この距離じゃ私には何も見えないのに。何にも知らないのに。知る時間さえ満足に作れないのに。私だけが望むのなら私が全面的に対価を支払うべき。それに、なんとなく気がついてた。彼の将来についての考えを最初に聞いたとき、好きな方向に進んでほしいと思いつつ、それによって選ぶのは彼ではなく私の方かもしれないって。

なんでこうも上手くいかないんだろう。長年かけてやっと人のことを好きになれたのに。いっそのこと私も無理矢理自分の中のそういうものを消したら、すべて上手くいくのかしら。なんだかんだ言って別に彼が望んでいなくても、おそらく私は彼のことを好きであり続けることができるし、何より彼と一緒にいることを望む気持ちの方が優勢であることが直感的にわかっているから結局そうするんだよな。というか、そう思えない程度のものだったら人に伝えずに今頃そのあたりに捨てている。自分から望んで関係性の変化を求めることが、自分の変わってしまった部分が人に受け入れられないであろうという枠組みとの衝突を意味することは、それが何はわかっていなくても感覚的に知っていた。たぶんこれが胸の痛みの正体。それくらいは織り込み済み。だから、別れた方がいいとか一方的にそんな馬鹿なこと言わないでほしい。そんな半端なものなら怖がりな私が人に言えるわけないのに。それでも一緒にいたいからそう言ってんのに。何もできないって言うけれど、通話に付き合ってくれてるじゃん。ゼミの課題やらないといけないのに。枠組みだって1つ外して、認識させてくれた。あとは受け入れてくれたらもうそれで。どこかしらで気持ちの整理もつくと思う。

それでも、何かが削れていくことだけは確かで。必要とされていないものを削り切ってすべて失くしたら、残ったものくらいは愛と呼べるのかも。だから、なんとなく彼が持っているものの方が、私にはそれに近いように思えるのだけれど。