転機

今週は年末年始の反動ですらなく、ただ単に体調を崩していて散々だった。一昨日は頭痛で仕事を休み、1日中寝て過ごして、昨日今日は倦怠感と仕事の疲労により、痛みがあるにもかかわらず帰宅直後に気絶するように寝ている。いや、昨日は体調が悪いことを失念していて、雪の中を濡れながら歩き回ったのがいけなかったのかも。結果的に十分な睡眠時間を確保できたおかげか、今日は深夜なのに頭が若干冴えている。


「One last kiss」が好きで定期的に聴く。宇多田ヒカルの曲は例によって少ししか知らないが、なんというかとてもしっくりくるものが多い。一抹の寂しさが混じったような雰囲気が好きなのかもしれない。曲調も歌い方も歌詞も好き。他の曲も聴いてみたい。
それまで微塵も興味がなかったにもかかわらず、大学生の時から気に入った曲の歌詞をなんとなく読むようになり。小説を読むことの延長線上に捉えられるようになったから、短い言葉で表される歌詞についても描かれないものに対して少しは想像できるようになってきたのかもしれない(普通に理解できないものの方が多いけれど)。この曲は歌詞が特に好きだったりする。映画館で聴いて言葉の選び方に驚き、改めて自宅で聴き終わった頃にはがっつりと心を掴まれていた。この曲の特定の箇所を聴くと、毎回思い出すことがある。「初めてあなたを見た あの日動き出した歯車 止められない喪失の予感」という歌詞。私にとって初めての、かつての友人。


中学校に入学した日のこと。特に感慨も何もなく、同じ塾に通っていた人と話す人々を尻目に、教室の自席に座ってただ新たな生活が始まるのを待っていた。小学生のときに学校で目的なしに人と必要以上に関わろうと思ったことがなく、真新しい制服を身に纏ってみたところでそんな簡単に何かが変わるわけでもない。そう思っていた。今でも思い出せる。前の席に荷物を置いたあの子がこちらを振り向いて、笑顔で挨拶してきた瞬間。本当にそれだけなのに、何かが変わった。今思えば、あれは間違いなく人生の転機。彼女とたくさんのことを話して、それが楽しくて仕方がなくて。気が付けばいつも一緒にいるようになって。初めて赤の他人と関わることを好ましく思った。

彼女とは3年生の時に疎遠になり、その時にようやく自分の中で彼女がどれだけ大きな存在だったのか気が付いた。今でも時々振り返る。どうすればよかったのだろう。当時は私の行動や言動が原因となって嫌われたのだと思った。今でこそそれだけではなく、彼女を取り巻く環境、生まれ、性格等、様々な要因があって、あの結末に至ったのだと想像がつく。彼女の言葉の端々には一見明るく振る舞っている彼女なりの苦悩が散りばめられていた。思い出せるものだけでも複数心当たりがあるのだから、実際はもっとあったはず。なんで拾ってあげられなかったんだろうなって。それなのに、あんなに無神経なことをたくさん言って。
とはいえど、もう十二分に悩んだし、わかっていなかったことが多すぎてどうしようもなかったことも理解している。後悔はあるけれど、この件で必要以上に落ち込んだりもしない。そういう巡り合わせだったのだと思っている。


気がつけば、学内には彼女以外にも数人の友人ができていて。彼女と疎遠になったことをきっかけに、人付き合いのことを真剣に考えた。それからは、友人という枠組みを設けて他の人と区別をして。一先ずそこに入れていいと思えるくらい大切な人だけでも、どうすれば傷つけずに関係を続けていけるのか考えて。外でそれっぽく振る舞おうと思った直接的な理由。
その一方で、再び何かを失うことを怖れているとも思う。基本的に自分のことが人に受け入れられると思っておらず。それでもどこかしら素の自分を知っていて、それでも付き合いを続けてくれている人はいて。真剣な人付き合いというのはずっと自分の首を真綿で締めているような。自分が存在を認識したり、意識を割くことのできる対象は少ないから、その人たちだけでも大切にしたくてそうしているけれど、中々上手くはいかない。

大学生のとき、私の行動が一因となったのか、一時的に友人と連絡がつかなくなったことがある。私は今まで通りでいいと思ってそれを選んだはずなのに、相手はそれを望んでいなかった(のだと思う)。真相はわからないけれど、最後に残されたメッセージを見たときの気持ちは昨日のことのように思い出せる。二人で何でも話せるあの場が好きで、でも突然一人になってしまって。正直なぜそうなったのかはよくわからなくて、でもなんとなく私の言動や行動が相手を傷つけてしまったのかもしれないとは思って。心にぽっかり穴が空いたような。確か相手の気持ちがわからなかったから少しの間考えて、結果的に返事をした時には既に連絡がつかなくなっていた記憶がある。今でもメッセージの内容は大体覚えている。忘れられないと言った方が正しいか。その後再び連絡がつくようになったものの、私の中ではあの場が一度死んでしまったような感覚が拭えないことがある。
これまであまり考えたことがなかったけれど、なんで戻ってきてくれたんだろう。もしかして思っている以上に好かれていたり?

別れはいつだって突然なのかもしれないが、言葉から何も拾えない自分の鈍さがどうにもならないことも感覚的にわかってはいて。これから先も、失って初めて気がつくことがたくさんあるのだろう。
人の気持ちや人の考え方に興味があっても、たぶん人そのものにはあまり興味がない。その時興味があるものに意識が持っていかれるので、それ以外に意識を割くのはとても難しい。そんな私が誰かを認識し続けているということは、その存在が自分の中に相当な重みを持っているということで。興味だったり、他の何かであったり、ある種抱えきれないほど。自分の目に映るところまで来てしまった人。自分の近くに位置付けてしまった人。分厚い摺りガラスの壁を挟んでこちら側にいるような。せめてその人たちくらいは大切にしたいし、失いたくない。おそらく他の何かしらと矛盾しているけれど、それでも大切にしたいから、もうそれでいいと割り切って諦めている。少し胸が痛むときもあるけれど、自分にできることはそのくらいだし、相手は素の自分を部分的に知って受け入れてくれてもいる。それで十分。
まあ欲張りだから、その諦めがつかない相手もいるんだけど。そろそろ自分の中で矛盾しすぎて胸の痛みとお友達になれそう。でも自分に嘘付けないしなあ。


学校で友人ができて、異なる意見も忌憚なく話せる友人ができて、人から提示されるわからないものについて考えて、それを知りたくてお付き合いをしてみて、結婚についても考えて、何かに気がついて、自発的に関係性の変化を望んで。かつての自分からすると本当にありえない。こうして振り返ってみると、失敗も経験しながらも少しずつ進めているのかもしれない。それもこれも間違いなくあの時彼女が声をかけてくれたおかげで始まったことで。巡り合わせ。
そもそも人の気持ちがあまりわからない時点でかなり人付き合いに向いていない自覚がある。でも、そんな自分でもどこかしら人と関わることを望んでいるのも事実で、怖がりながらもそのために動いていることもある。他人の存在を認識すらできなかったのに今こうしているのだから、この先も望めば何かしら広がっていくような気が不思議とする。悲観的な自分にしては珍しくそんなことを考えていた。