年始に初仕事を終えてみて思ったこと。短期間でこれだけ文章を書けたのは、仕事がなかった年末年始だからかもしれない。頭痛がする(これは体調の悪化が原因かも)。まだ初日なのに疲労困憊。でも、書かないと細部を忘れてしまいそうで。そして明日明後日は出社日だから、たぶん書けない。ちゃんと覚えておきたいから、今のうちになるべく詳細に書いておく。(結局寝落ちしたので朝になっている。)

ついでに文章を書いてみて思ったことをつらつらと。相手を大切に思うと言えないことが出てくる、という経験がある。例えば、意見が合わないことがわかっているから、友人と話すときに特定の話題を避けるとか。気を遣うことと話せないことは表裏一体。見えている地雷を踏み抜くのは本意ではない。見えない地雷は踏んでいる可能性が高いし、何ならそもそも見ても認識できないことや、どれが地雷かもわからないことも多いけれど。

文章を垂れ流すのではなく、リンクを貼ってワンクッション置くことで、自己責任で読みたい人だけ読んでくれというスタイルは、案外精神衛生上よいのかもしれない。まあ、自分の場合はフォロワー1のアカウントに備忘がてら貼っているだけで、人にアクセスされる可能性は低いからちょっと違うのだろうけれど。それでも予想以上に色んなことが書けるものだなと思う。自分が自分のために書くという体裁だと、こんなこと言われても困るかもなとかあまり考えなくて済む。赤裸々に残しておける。



晦日の続き。阿闍梨餅のお店に一緒に行ったら彼も食べたくなったときにおいしい和菓子を買えるようになるんじゃないかと考え、お店まで道案内してもらった。京大の構内。自然と入試の日に見た光景を思い出す。丸1年引き摺ったのに、今ではこうやって普通に歩ける。彼が京大に落ちたことを2回もからかってきたのには正直驚いたけれど、それも別に嫌だとは思わなかった。

移動中のこと、日常に近いところを歩いていることが不思議だとしきりに彼は言っていた。その時は単純に大学の関係者以外をそこに連れてくるのが珍しいからだと思っていたが、彼の記録を見た感じ少し違ったらしい。

これは今の気持ち。「恒星と同じくらい離れた場所にいる人」。どういう意味なんだろう。私がよく言う言葉についても、ああ思っているなんて思いもよらなかった。もっと色んなことをちゃんと知っておきたいのだけれど、あちらが話したがらないことを無理に聞き出すのも違うし、かといって思い切り自分のことを書かれているブログを見るのも悪いことしているような気分になったり。でも、ブログを読んで普段こういうことを言われないと書いたらお互い様だと言われて。言われてみれば、私は8月のとき以外何も話していないかもしれないと思った。私から話した方がいいような気もしているが、何を話せばいいのだろう。こちらが話すとなると宿題の答えはまだ出ていないし、途中経過もたぶんニーズに応えられていないし。うーん。

話を戻す。お気に入りの場所を教えてもらった。青空が切り取られて綺麗なのはその通りだった。彼の日常に近いところに自分が立っているのは、確かに少し不思議な感覚だったかもしれない。インターネット上の脆弱な繋がりから始まった彼との関係が、いつの間にか実生活に近いところにまで及んでいた。

これも今の気持ち。昔からねじれの位置にあると言っていいほど自分の感覚と遠い人だと思っていて。それでも不思議と心地良さを保てていた人と、私の意思で付き合い始めて、煽られながら京大を歩いていた。どういうこと? 昔の私からするとすべてがありえないことで、聞いたら卒倒しそう。でももしかすると幸せなのかもしれない。


鴨川で食べる久々の阿闍梨餅はいつもと同様においしく感じた。彼にもおいしいと思ってもらえたようでよかった。一方的に押し付けてしまったから。
引越した後も時たま人と何かを食べに行くことはある。ささやかな喜怒哀楽を色んな意味で共有することは好きだったりする。共感ではなく、共有。だから、おいしいものを食べたときには、彼と一緒に食べたいなと思って、少し寂しくなったりもする。まあそれは不可能なので、この日は芋けんぴを押し付けるだけ押し付けようと思っていたのだが、持っていくのを忘れていた。注意散漫。

確か、以前深夜にプレゼントの話をしたことを思い出していた。私にはその感覚がないから彼の言っていたことがよくわからなかったけれど、彼には私が芋けんぴをあげようとしていることもそういう風に見えているのかもしれないな、と頭の片隅で思った。

彼曰く、鴨川あたりでは綺麗に星が見えるらしいとのこと。肌を刺す冬の寒さ、水の音、舗装されていない地面の感触、夜空に浮かぶ星々。想像して無性に見たくなったが、夜遅くまでいることは難しいし、ご飯も食べたい。後ろ髪引かれる思いで去る。いつか一緒に見られる日も来るのだろうか。橋を渡る際に見た夕焼けの淡い色合いが美しかった。


それから電車に乗って、家族に頼まれていた漫画と2022年に読みたい本を買いに本屋さんへ。本をおすすめしてくる彼が何だか子供っぽくて面白かった。本当にこの本が好きなんだろうなって、私でもそのくらいはわかる。元々通話で話に上がった際気になっていたこともあって買ったので、気が向いたら読んだ後に感想を書いてみてもいいかもしれない。

ついでにサン・テグジュペリの「星の王子さま」を手に取る。私は同じ作者の「夜間飛行」がとても好きで既に20回ほど読んでいるくらいだが、「星の王子さま」は感覚に合わなかった。確か中学生の時に読んだような気がする。
過去の自分が相容れないと思った言葉をなんとなく口にしたくなかっただけで、本当は覚えている。大切なものは、目には見えない※。今読んだら、その言葉も自分のものになるのだろうか。ほんの少しの期待を胸にレジへと向かった。

忙しそうだから気が引けるけれど、何も知らないと私の性質上いつか地雷を踏み抜いて嫌な思いをさせそうで。だから、相手のことをもっと知りたいと思って忙しいのに時々通話に付き合ってもらっている。電話越しに聞く声からはあまり相手の感情が読み取れなくて、なんとなく色がないように思う。でも、予約したお店に向かいつつ、時々スマホで地図を見せながら他愛もない話をしている時の彼の様子からは、別に全然そんなことは感じなくて。以前そんなに楽しくしているように見えないのかと言われたことをふと思い出す。

なんで私には何もわからないのかなと思った。だからこそ会うことに意味を見いだせるのかもしれない、とも。京都国立博物館も、大阪駅近くの橋もまだ行けていない。前者は開いていないし、後者は寒いから今回は見送った。彼はそんな話忘れているかもしれないけれど。まだまだ行きたいところがたくさんある。でも、目的地に向かうまでのなんてことない道も歩いていて楽しいから、彼と一緒に行く分には別にどこでもいいのかもしれない。旅行の話をしながら思ったこと。

時系列は前後するけれど、歩きながら好きな通りの話を聞いて、先ほどの星と同様、一緒に見られる機会もあるのかなと思ったり。そもそもあと何回生きてこの人と会えるんだろうと思ったり。彼が綺麗だと感じるものを、もっとたくさん一緒に見られたらいいのになと思ったり。なんとなく言ってはいけない気がしたから、言わなかったこと。


夜ご飯もおいしかった。時間をかけて選んだ甲斐があったと思う。かなり眠そうだったけれど、彼は話にたくさん付き合ってくれた。歩き続けて、私の気が向く場所ばかり行って(しかも墓地)、方向感覚がないから道案内も任せてしまって、眠いのに話に付き合ってくれて。いつももらってばかりだと思う。何もしてあげられないことを思ってちょっぴりへこんだ。せめてご飯が口に合っていればいいなと願う。

会話の中で印象的だったこと。彼とは長い付き合いだが、彼の目を見た記憶は一度もない。本当に合わない。目が合ったことを私が認識できていなかっただけの可能性はあるが。私は意図的に相手の目を見るようにしているから、彼があったと言うならば、おそらくそれはあったのだろう。
対等な相手と目を合わせるのが苦手だと彼は言う。「目は口ほどにものをいう。」私ですらそう感じたことが数回ある。彼は他人の気持ちがわかる側の人間だから、相手の目から無意識に色んなものを読み取ってしまうのかもしれないとぼんやり思った。わかりすぎるのも大変なのかも。私はわからない側の人間だからその感覚はわからないけれど。これは憶測。

そんなまとまりのないことを考えていると、眼鏡を外した彼と目が合った。心が揺れる感覚。たぶん表情も取り繕えていない。純粋に綺麗だと思った。一瞬のことだったからしっかりと見えたとは言い難いけれど。これまでも辞書的な意味は理解できていたものの、人の目に対してそう思ったことはなく。昔「目が綺麗な人が好き」と言った知人の気持ちがようやく少しだけわかった気がした。なんとなく。
彼はやっぱり怖いと言っていた。私の中の何かが彼にそう思わせたのなら申し訳ないなと思いつつ、目を合わせてみようと思ってくれたことに、新しい感覚を与えてくれたことに、心の中でありがたく思った。








※「いちばんたいせつなことは、〜」「本当に大切なものは、〜」など、様々な訳があるらしい。英文では「Anything essential is invisible to the eyes.」とのこと。確か原文はフランス語。