新幹線にて

帰りの新幹線が暇すぎるので文章を書いている。実家からは空港の方が近いため、普段は飛行機で移動しているが、今回は振込み忘れをやらかしたので例外。注意散漫。


中高生の時に通学に利用していたJR線を使って、新大阪駅に向かった。電車を待ちながらかつての最寄り駅を観察してみると、一見何も変わっていないようで、その実電光掲示板の色や自動販売機の配置が変わっていることに気が付く。些細なことから否応なしに感じる時の流れ。車窓から見る景色は変わっていないようで、ふとこんな夜遅くに大阪方面へ向かう電車に乗ったことがないと気が付く。実家にいると経験するのが難しかったであろうこと。

新幹線に乗るのは久しぶり。就活以来か。
2年半ほど前のこと、面接で東京に向かうため、生搾りのジュースを買って新幹線に乗り込んだ。スーツで椅子に座り、滅多に乗らない新幹線から見える景色をひたすら眺める。飛行機に乗っていると離陸時着陸時を除き、大抵の場合雲と空以外は何も見えなくなる。見慣れた好きな光景。でも新幹線は違う。普段行かない様々な土地の、普段進んで足を踏み入れることのない様々な側面を見ることができる。さらに、その時乗った列車はこだまだった。のぞみと異なり、マイナーな駅にも停車するこだまは自分にとってかなり新鮮で、なんとなく窓から外を見ているだけで満たされるものがあった。こちらは楽しい思い出。

帰りの新幹線、内定の電話をもらい安堵した。そのまま当時お付き合いしていた人に報告をして、東京勤務になる可能性が高いことを伝えると、なぜか微妙な反応が返ってきた。この時の引っかかりを拾えていたら、もう少し異なる結果になっていたのだろうか。まあ、遠距離になった時点で上手くいかなかったであろうことは想像に難くないのだが。当時の自分はそんなことを思いもしなかった。想像力の欠如。こちらは苦い思い出。


京都駅での停車。30日に彼と出かけた時のことを思い出す。おいしいものを食べていても、こうやって関連する地名を聞いても、連鎖的に彼のことが出てきてしまうのはなんとなくあまり良くない傾向のような。どうなんだろう。だからと言って自発的に起こる心の動きをどうこうできるわけではないけれど。
なんとなく自分が本当のところ何を思っているのかはわかっているような気がする。直接的ではないにせよ、おそらくどこかしらでそれと近い内容を伝えてもいる。でも二度目は言ってはならない気もしている。ずっと。なぜかはわからないが。距離感を測りかねている。話を聞きたいと思っても、彼は忙しそうで、通話することすら難しい。そんな感じでもお付き合いすることを決めたのも結局のところ自分ではあるが。
友人として長年接してきたこと以上に、私の中でその枠に本当の意味で入った人が初めてで。どうすればいいんだろう。よくわからない。

12月に考えていたこと。「無条件」に受け入れられるということを、感覚的に理解できていないように思える。逆は(とてつもなく難しいことであるという事実を横に置いておけば)わからないでもない。頭でもなんとなく理解できる。でも自分にそれを向けられると忽ち疑ってかかる。無意識のうちに。それは、何か私が与えたものの対価として与えられるもののような気がする。「『こういうあなたが好き』って、『こうじゃなくなったら好きじゃなくなる』ってことでしょ?」という燈子さんの台詞が感覚的にわかるのも、たぶん同じ理由(燈子さんの台詞はすべてではないものの、感覚的に理解できるものが多い)。前のお付き合いが上手くいかなくなったのも、たぶん同じ理由。もらってばかりの現状をどう肯定していいのかがよくわからない。

別に相手の言葉を否定しているつもりも、曲解しているはない。でも、当時とは異なる人が異なる文脈で異なる想いでもって与えてくれた言葉を受け取ろうとすると、真っ先に出てくるのが昔投げかけられた言葉と傷ついた時の感覚、みたいな。控えめに言って最悪。まるで亡霊。何より、そうやってもらったものに異なるものを見ている自分が一番最悪で、どうしようもない。彼の言葉は的を射ていた。
隣に座る妊婦さんが愛おしそうにお腹を撫でているのを視界の端に捉え、なんとなく、書いておくべきだと感じたから書いている。少ししんどい。望んでしまったものは仕方ないから、もう知らなかった頃には戻れないから、考えるしかない。そんな気がする。
この箇所はあまり読まれたくない。まあ、嫌ならこんなところに投げなければいいだけだから、別に読まれてもまったく問題ないのだけれど。でも、やっぱり彼にはあまり知られたくはないかもしれない。矛盾していて笑えてくる。これも自分の一部なんだと思うと、変な感じ。


それにしても今日は文章を書いてばかりいるような。気がするだけで、実際はおそらく5時間にも満たないだろうけれど。本当は新幹線の車内も別に暇なわけではなく、読みたい本を6冊ほど持ち込んでいたのだが、なんとなく文章を書きたい気分になったから、こうやって書いている。今でもやろうと思えばこのくらいの短い時間で、そこそこまとまった量の文章が書けることに少し驚いた。仕事では文章を書いてばかりいるが、体感的には仕事と自分の思考を書き起こすのとでは頭の使い方が異なるように感じる。一周回って新しい。

頭の中だけで考えていると、自分でも思考が飛びすぎて追えないことが多々あるので、時たま内容を振り返りつつ考え続けるのは良いことかもしれない。何だかんだ考えること自体は好きなんだと思う。捗りすぎて今夜も眠れる気がしないけれど。