小晦日

すべて振り返るつもりだったが、長くなってきたので続きは機会があれば。一先ず予定決めと墓地の話。


年の暮れ、12月30日に彼(面倒なため、彼のブログに習って私もこの先「彼」と呼称してみる。ところで、彼はどうして女性の私をわざわざ「彼」と記載しているのだろうか?)と会った。8月に会ったきりなので、おそらく彼に会ったのは4ヶ月ぶりだろう。

場所は京都。毎回雑なルート設定で、メインの行き先と時間だけ1つ2つ決めてある。あとはやりたいことをいくらか持っておいて空いた時間にはめ込んでいくのだが、その作業は彼に任せる。なぜ自分でやらないかというと(やる時もあるにはある)、単純に彼は京都に住んでいてそのあたりの地理に明るく、一方で私は方向感覚が壊滅的なので、それが一番手っ取り早く正確だから。というのは実は半分本音で半分建前だったりする。

そもそも自分は予定を立てるのが滅法苦手なタイプで。時間を守るのが苦手だから、大抵の場合予定を時間通りに遂行することができず、ストレスが溜まる。それでも自分がやらないといけないとわかったときは、加えてすべての段取りを自分で行わないといけないような、そんな義務感をなぜか覚える。ある程度お手本を見せてもらって、実際に何度か実行に移して慣れはしたものの、やはりストレスに感じることが今でもほとんど。自分が認識できる要素が少ないという自覚があるから、上手くできないのではないかと不安になるのだと思う。あとはキャパシティの問題。今初めて考えたから、実際は異なる理由かもしれない。とはいえど他のことでも上記のような理由で物事をストレスに感じた経験が山ほどあるので、中らずと雖も遠からずといったところか。

それならば、彼と会う時はなぜその役を引き受けるのか。理由は3つ。1つ目、ほとんどの場合私が彼を付き合わせる形になるから。大抵のことは発案者が動かないと実現しないということくらいは私でもわかる。2つ目、彼は特段行きたい場所というものを持っておらず、また時間を決めることにかなりの抵抗を感じるようだから(このあたりは聞いたもののあまり理解できていない)。彼に負担はかけたくないので、それなら私が動いた方がいい。3つ目、これが最大の理由なのだが、彼と出かけるときは実は結構予定を決めるのが楽しく感じられるから。

彼は私がどこに行こうと文句を言わない(内心どう思っているかは知らない)。ただ、私に行き先を委ねるだけ。彼は彼でどこかしらで線引きをして絞り込むことが苦手なようなので、ちょうどいいのかもしれない。人から期待されている内容がわからないことに対しても、期待に応えられないことに対しても神経を擦り減らしている自分にとっては、それがとても心地よい。一方で、特に苦手な行き先までの経路や所要時間の見立てについては彼が助け舟を出してくれる。私の終わっている時間と方向の感覚が不安で任せられないだけかもしれないが。なんとなく書きながらそんな気がしてきた。何にせよ、いつも助けられている。
何かをしてもらってばかりだとそれはそれで自分にとっては不安の種となることを去年自覚したのだが、少なくとも彼と会っているときは、そんなことを考えている余裕がないくらいただただ純粋に楽しめる。下調べをする時だって、お目当ての場所も、ご飯のお店も、毎回わくわくしながら決めている。謎。

今回なんて図らずとも墓地を歩くことになったのに、文句1つ言わずに付いてきてくれた(繰り返すが、内心どう思っているかは知らない)。ポケモンのように後ろを付いていくと言っていたのに、途中で普通にはぐれたけれど。とはいえど、付いてきてもらっている以上、あちらに興味を引くものがあったならそれに越したことはない。というより、お付き合いをしている関係性で、年に数回しか会えないのに行き先が墓地って。意図していなかったにせよ、変わっているとは思う。そろそろ場所選びのあまりのセンスの無さに別れを切り出されるかもしれない。


それでも墓地を歩いた理由は、その場所の性質に対して自分は何も思うところがなかったから。お墓参りは遠い昔におそらく二度行ったくらい。身近な人の死も経験していない。だから、別に観光地を歩くのも墓地を歩くのもある種変わらない。日頃近寄らない場所。死を色濃く感じられるかもしれない場所。人々がどういった想いを持ってそこへと向かい、お墓を清めるのか、それにどういった意味合いがあるのかには興味がある。大晦日でもなく年の終わりに、なぜ人がわざわざ車でお寺に来るのか。彼とそういった話をしたときに、墓地が地図に書かれていたことは記憶していたので、なんとなく見当はついていた。でも元々墓地に行きたかったわけではないことは付記しておく。方向音痴なのでどのみち狙って辿り着けない。それは成り行き。

実際に行ってみると、見知らぬ名前のお墓から某大名家のお墓まで、様々なお墓があった。正直そこに思うことはあまりないのだが、彼は少し違ったようだ。
少し脱線。私とは違って自分と一見関係のないものにまで様々な意味を見出だせる彼の感性を、昔から好ましく感じている。今回もそう。私が彼の話を聞きたがるのにはそういった理由があるのだけれど、聞いてもよくわからないことも結構あって、残念に思ったり。逆にこちらが話しても上手く言語化できないことも多く、折角時間をもらっているのに申し訳なく思ったり。
一度考えたことしか即座には持って来れないのだと思う。昔はもっと自分のことを考えるために時間を割いていた気がするけれど、最近は仕事のことを筆頭に考える対象が分散しているから、あまりそういった時間が取れていない自覚もあり。その場で人に伝わるよう表現できないのも、必然なのかもしれない。

話を戻す。話しながら適当に歩いて、彼とはぐれたときに辿り着いた奥まった場所がとても綺麗で。「家」の概念をあまり感覚として持っていないため、彼がお墓に入ることにあまり意味を見い出せていないといった発言をした時、自分も同じように思った。しかし、その場所に1人で立ったとき、驚きのあまりしばらく立ち尽くして、そしてこれはこれでいいのかもしれないと思った。こんな場所なら静かに眠れるかもしれない。しんとした冬の寒さの中でも柔らかな光が差し込んでおり、あまり人が来ないのか、苔むしたような緑色が目につく。耳にはただ風の音だけが響いてくる。優しい場所だと感じた。あとなんとなく彼に対して感じているものと近い気がして。それから1人で来なくてよかったと思った。

そんなことをぼんやりと考えて、来た道を何とか思い出しながら戻っていると彼がこちらに向かって来た。たぶん探してくれていたんだと思う。まあ私に方向感覚がないので明らかにそれが合理的ではあるのだが、彼はよく自身で否定するけれどやっぱり優しいなと思いつつ、2人で話しながらあてもなく進んだ。