きっかけ

このブログを開設したのは一昨年の11月中旬のことで、その時に書き記した文が下書きに残っていた。折角なので載せておく。この頃には、既に相手のブログも読んでいたのだろうか。

なんか、なんかね。こう見ると、当時からわりと文章にはできているじゃん。これをそのまま伝えてみればよかったのかもね。

 

 

これまで文章を読む時、序文に特別意識を向けたことはなかった。しかしながら、いざ自分が新たに何かを始めようと思い立ってみると、意外や意外、きっかけを後々のため残しておきたいという気持ちが自然と湧いてきた。どこかで初心に立ち返りたくなる時が来るのか否か、そもそもブログ自体飽き性の自分には続くのかわからないが、ここに記しておく。

 

きっかけは、人に「何を考えているのかわからない」といった指摘を受けたことだ。2021年8月下旬、ひょんなことから長年の友人(以後、「彼」とする)とお付き合い(世間一般のものとはかなり性質が異なる)を始め、なんだかんだ2か月ほど楽しくやっていたものの、早速すれ違いというものが発生した。直接的な原因はお互いの勘違いであり、上記の言葉はその際彼から発せられたものである。私は8年間の付き合いのある彼にそう言われたことにかなりの衝撃を受けたが、一方でここ最近自分の思考に何かしら大きなバイアス・歪みのようなものの存在を多く感じていたのも事実であり、本件もそれが原因の一端となっている可能性に思い当たった。

とはいえど、自分の思考を上手く言語化できるわけではなく、彼にも自分の思考回路を正確に伝えることができなかった。私にとって彼はとても大切な人で、その彼に自分のことを理解してほしいとは言わないまでも(でも理解してもらえると嬉しい)、自分が彼が嫌がることを平気でする人間のように思われたことが、どうしようもなく悲しかった。

そこで、普段読書等のインプットばかりでアウトプットの機会を設けていないことが要因の一つのように感じられたため、安易な気持ちでブログを始めてみることにした。何か相手に自分の思考を伝えないといけない時に正確に伝えられるように、自分の思考回路を、自分でも見えていない歪みやフィルターを少しずつ整理していけたらと思っている。

 

ちなみに、この手法を選んだのは、ブログで思考を整理しているらしい彼の影響だったりする。