2022.05.27

久々の連続出社は体に堪えるけれど、健全な疲労感がある。頭だけ重くなるあの感じではなく体もしっかりと重くなっていて、こちらの方があるべき姿のような気がするというか。最近になるまで疲れに対してそんな感覚はなくて、不自然な疲れを知ったから、そうでないものを自然に感じるようになったのかなとかなんとなく思ったり。まあ、まだ大した経験はないし、そんなものかも。でもお昼休みに料理ができなくなったのは悲しい。



気分で終業後に歩き出して、以前目についた道が今日も気になったから、そちらに向かってみた。一見すると寂れた商店街みたいな。でもそれも少し違う。こう、独特な場所だなと思った。地元に根付いているような、外様の人間向けのような、どちらとも言い難い雰囲気。土地柄的には後者なのかな。うろうろしているとシャッターがたくさん降りている中に小さくて古くて、けれど活気のあるレストラン(イタリアンっぽい?)を見つけた。今度お昼にでも食べに行ってみたい。

適当に進んでいたら行き止まりにあたって、そこには神社があった。なんとなく知っている空気感に近い気がした。こじんまりとしていてどこか温かみがある。観光地特有の綺羅びやかさはそんなになくて、地元の人々の生活に根ざしている感じ。そこにあるもので保っているというよりかは、空間自体に重みがあるような。上手く表現できない。それでも所狭しとものが置かれているのは東京らしくて笑ってしまったけれど。市杵嶋姫命(所謂弁財天)を祀っていたから、あのあたりの商いをする人の願いがつまっているのかも。他にもあった気がする。何にせよ、こういった雰囲気はすごく好きだなと思った。足を運んで願をかけた分だけ、自分にとっても特別な場所になっていくんだろうな。

お祈りをして敷地から出たら、ロードバイクに乗った人がピタッと鳥居の前で止まって。邪魔かもしれないと思って慌てて出たのだけれど、そのまましばらく社に向かって頭を下げた後、中には入らず直角に曲がって行ってしまった。妙にきっちりとした所作に、人によって祈りの形って色々あるんだなと思ったり。



これまでに何度も渡った橋を歩いていると、いつもより車が通ったときの振動が自分と近いところで感じられた。不思議に思いながら景色を見ると、遠方に雲がもくもくと生えていて。流れで空に視線を移すと、無数の飛行機雲が縦横無尽に走っていた。空を見て自由だなと感じたのは初めてのこと。こういう空もすごく綺麗。



なんとなく魚屋さんに寄った。存在は知っていたけれど、これまで行ったことはなかった魚屋さん。疲れからか、魚に目の焦点を合わせるのがしんどくて、たまたま居合わせた客が私だけだったから店主さんにどれがどの魚なのか尋ねた。その時無性に鯵が食べたくて。捌いてでもいいから新鮮なもの。ただ、大きさ的に鯵っぽいものがぱっと見当たらなかったから質問していたのだけれど、しばらくするとこれが鯵だと1つの箱を指さされた。いや、鯵にしては大きくない? 率直な感想を述べたら色々教えてもらった。1匹だけ今日入荷した新鮮なものが残っていたのでそれを買って、ついでに三枚おろしにしてもらった。手際良すぎ。ちゃんと腹身の骨まで綺麗に取ってくれて助かる。機嫌良く帰って、早速皮を剥いで食べたら脂が乗っていてめちゃくちゃおいしかった。鯵を食べることでしか得られないものがあるんだよな。スーパーで買うより満足度高いし、もっと色々お話も伺ってみたいし、また行きたい。