2022.05.22

PCの動作が重すぎてWordの応答を待っているとふと疑問が頭を擡げた。どうして私は休日に契約書を作っているんだろう。答えは至って簡単で、自分がやりたかったからなんだけれど。そして期限が今日だった。何だかんだ考えることは楽しくて。2年前に作成したものを元に改めて隅々まで確認し、微細な修正を重ねていく。1か月ほど断続的に検討していた幾らかの関連する問題の結論を出して、手当てのために当初の予定から書類を1つ追加。結果的に3つのドラフトを作成。確認してもらったところ内容に問題ないとのことで、タスクが1つ完了。修正も必要なし。相手は仕事に関して厳しい人だから、こうやって認めてもらったことは今までなくて、ちょっと嬉しかったな。どこまでも近くて、どこまでも遠い人。

普段仕事でやっていることは、成長を感じることが中々に難しい類のもので。でも、今回は諸般の問題について以前より深く検討できたし、ちゃんと関連する判例とかにも早めに当たりをつけて諸々調べられたし、どのように対応すべきかについてもすぐに決められた。インターネットや本で闇雲に調べて対応するしかなかった2年前より明らかに進歩していて、何よりもそれが嬉しかった。見つけられた改善点の数だけ、いつの間にか成長していたらしい。もっと色んな観点を知りたい。こういうの楽しい。



成長と言えば、最近料理が成長を感じられて楽しい。今日作った料理、簡単なものだけれど掛け値なしに2品ともおいしく感じて、おいしいと自然に口にしている自分に気が付いてじわじわと嬉しさが込み上げた。理由として思い当たる節。何を食べても「なんか違うな」で止まって全否定していたのを、半年前くらいから具体的に何が違うのか考える癖を付けようとしていて。1つずつ課題を克服する感じ? 他は同じ条件でも1点だけ改善できたら前よりおいしくなるはず、くらいに緩く考える方法を探っていた。それから少しずつ感じ方が変わったのだと思う。なんか、大したものではないにせよ、自分が自分でおいしいと思える料理を作れる日が来るなんて本気で信じていなかった。どうしようもなく嬉しい。

もう1つ理由があるとしたら、おそらく同居人ができたこと。疲れでご飯を食べずに寝ようとする日が定期的にあって。無理やり食べさせるためにご飯を作って帰りを待って、一緒に食べたりしていた。見るからにしんどそうで、人に食べさせるのが好きじゃないとか言ってられない。最近はそんなこともなく、趣味や新しいことをやる余裕があるくらいには元気そうだからよかった。自分の心理的にはしんどかった面もあったけれど、都度忌憚のない意見やアドバイスをもらったりもして、何だかんだ私にとっても悪くなかった。(余談。同居人、似た環境で育ったはずなのに味覚が違うらしく面白い。感想を聞いている感じだと、あちらはもう少ししっかりした味付けの方が好みみたい。)

なんか、作ったものに対して必ずしも酷いことを言われるわけじゃないんだなって、初めて肌感覚で分かった気がする。そういった反応しか想像できないから、人に作るのがずっと嫌だった。ただ、そう思うくらい自分の料理がおいしく感じなかったのは、技術が足りていないのもそうなんだけれど、気持ちがこもっていなかったからなのかもしれない。ずっと、妹たちの料理は致命的なミスをしていてもどこかでおいしく感じるのに、私のものは違うなと思ってた。人においしいと言ってもらえても自分ではそう思えなかったのは、そういうものが自分の中にないことをなんとなく知っていたからなのかな、とか思ったり思わなかったり。どちらが先かはよくわからないけれど。まだ完全に払拭できたわけではないけれど、食べてもらいたい人に対してもっと自然に作れるようになるくらいには、心理的な抵抗がなくなればいいなと思う。