2022.04.08

ことあるごとに思い出す。他の人が頬に触れたのはたぶん何かしらの想いがあったから。私には何があったんだろう。好奇心? そうとわかっていたら触れなかったのかも。何でもそう。自分の認識できるところにまで、意図せず接触した瞬間に初めてわかる。それまではわからない。想像力の欠如? どうなんだろう。想像力が足りないのか、そもそも認識すらできていないのか。どちらもある気がするけれど、どちらにせよ何か自分には決定的に足りていないものがあるのだと思う。0じゃないけれど、平均よりかなり低いような。天秤が初めから一方に傾きすぎているというか。他が見えない感じ。そんな気がするから、自分の持っている心の動きが他の人と同程度の重みを持つとは思えない。周りの人はおそらく悲しんでいたのだろうけれど、自分はどうなんだろう。お顔はもう思い出せないけれど、あの感触がずっと忘れられなくて、思い出す度に何とも言えない気分になる。

ふと思ったのは、自分の注意の向き方的に、確かに人の顔よりも手で触れた感覚の方が長く覚えていられそうではあるということ。それがなんとなく触れたくなった理由? 今となってはわからないけれど、覚えておきたいものに対しては、積極的に触れておいた方がいいのかも。まあ普通に人に対してやったら相手は驚くと思うから、できないな。でも、本当にどれだけ覚えておきたいと願っても、その瞬間が楽しくても忘れてしまうんだよな。あるいはそもそも認識できていない。以前一緒に歩いた道と同じ道を通っても覚えていないように。急に思い出したこと。そういう点を指摘されると、私は覚えていられない程度にしかそれに価値を感じていなかったのではないかと思ってしまって、すごく申し訳なくなる。そんなつもりは相手にはないのだろうけれど。自分と同じような傾向を持つ人はなんとなく少数派な気がするものの、自分は自分の感覚しか理解できないから、そうでないということがどういうことかよくわからない。見えないものは見えないし、大切なことも簡単に忘れてしまうし、人の気持ちはわからないし。私にとってはそれでしかないとしても、足りていないのだとしたら、他の人にはそう映るのだと思う。

人から貰った物を使い続ける理由も、好きな物しか手元に置いておかない理由も、文章でのやり取りが好きなのも同じ。物理的にも精神的にも、自分が何かを大切にするためにはそれを持続的に認識したり接触できる状態にしておく必要があるからで。わかってもらえないのだろうけれど。