2022.03.24

あまり褒められたことではないが、ここ最近仕事中も何か連絡があるとざっと内容を確認するようにしている。変に気にしてそわそわするよりも開き直って通知をトリガーにした方が仕事に集中できる。iPadのみ通知音をつけていると、出社したときに通知を切り忘れて周りに迷惑をかけることもない。スマホAndroidなので、最初は聞き慣れない音に都度驚いていたが、今では当たり前のように受け入れられている。連絡をもらってから早2か月。慣れるくらいの時間は経っていた。

お昼休憩から1時間ほど後、その時はやってきた。最初の一報。続いて他の人が速やかに次のアクションを報告していく。自分も会社の制度等の下調べを既に行っていたため、取り急ぎそれを伝えた。自分を含めて皆、想像していたより遥かに冷静。ただし、文章のやり取りでしかないのに、明らかに空気は普段と違っていた。いつも方言を使って温かなメッセージをくれる人が、いつもは使わない敬語を使って事務的な連絡を送ってくる。

午後は2本会議が入っていた。午前中に自分の仕事をあまりできなかったため、1つ目の会議までに粗方手を付けようとして仕事に注意を戻す。頭は間違いなく仕事のことを考えているのに、しばらくの間なぜか涙がぼろぼろ出てきて変な感じ。頭ではなくて、もっと胸の奥の深いところが反応しているような。でもよくわからない。顔を洗って、1つ目の会議では法律の話をして、2つ目の会議では上司にお休みをもらう旨伝える。平然と何事もなかったかのように話せて、これもまた変な感じ。それからはいつも通り仕事をして、いつも通り退勤した。これが「社会人」かと思う一方で、10時間ぶりに今日が在宅勤務であることに感謝した。仕事関連でもコントロールできない領域がまだまだあるらしい。出社していたら涙の一滴もなく1日を終えられていたのだろうか。できそうだな。

退勤後にぼんやり考えたこと。昔みたいに取り乱すことはなかった。数日前、上司に事前に相談したときの会話を思い出す。「まあ、まだどちらに転ぶかわからないものね。」そう言われて初めて、自分が伝えた情報だけだと、まだ事態が好転する可能性が残っていると受け取られることに気がついた。私は10年以上前からそれはないとわかっていたから、全く考えていなかっただけで。心の準備をする時間がたくさんあった割には、全然割り切れていなかったのかもしれない。よく耳にする「心にぽっかりと穴が空いたよう」とは違う気がする。この感覚は何なんだろう。上手く形容できない。

親とはいつも通り普通に話せた。その後お風呂で湯船にゆったりと浸かっていると、悲しいと感じたわけでも表情が変わるわけでもないのにまた涙が出てきて、一人でこっそり泣いた。他の人がいると、人と対峙するための自分になるのかしら。仕事中は思っていたより平気な気がしていたけれど、単純によくわかっていないだけかも。「元気ではなくとも、生きていてくれていること自体が心の支えになっている。」独り言はなんとなく腹に落ちて、少し自分のものになった。もうどこにもいないんだな。変な感じ。


それにしても全然眠れない。どうしよう。