2023.04.15

最近気が向くと行うこと。片手を握って開く。ただそれだけのこと。それだけのことなのに、自分の手が「自分の手」であると確と感じられるようになったことに気がつく。不思議で仕方がない。これまでそういった感覚が欠けていたことを知った。これは何と呼ぶのだろう。

2023.03.28

めちゃくちゃリコーダーを吹きたい気分なんだけれど、リコーダーが見当たらない。どこに置いたんだろう。無意識にぽんぽん置いてしまうから物が行方不明になりがち。

この衝動はリコーダーでしか解決できないのに。どこに行ったんだろう。昔からずっと思っているけれど、あらゆる物、呼びかけたら足が生えて出てこないかな。

実家に置いてきたのかな。だとしたらもうないのかな。今度帰省したときに確認する。

2023.03.18

すっかり春だと思っていたら、気温が下がってきてまだまだ寒い。実家にはどうやら鶫だけでなく、鶯が遊びに来るようになったらしい。春だよな。色んな鳥に出会えるとその分四季を感じられていい。こちらは未だにむくむくした雀、鳩、燕、鴉あたりしか見ない。

都会は確かに便利ではあるけれど、ずっと住み続けたいとまでは思わない。海外に住んでいた時期も含め、ほどほどに緑と生き物のいる場所で生まれ育って、何だかんだそんな暮らしは好きだったから、その感覚がどこか根っこにある気がする。虫はちょっと苦手だけれど。それでも、都会で生まれ育った人が地方に行くことを考えられないのはなんとなくわからないでもない。これは実際に住んでみないとわからなかった感覚だと思うから、経験できてよかったと思う。

 

 

ここから昨日寝る前に書いたもの。

今日は人生で初のジャズコンサート。仕事を定時で終わらせ、急いで身仕度して行ってきた。ゲームに収録されている曲をジャズアレンジしたコンサート。

最近オーケストラ以外のコンサートにもちょくちょく出かけているけれど、ジャズを生で聴くのは初めてで。どきどきしながらチケットをもらったら最前列だった。運が良すぎる。しかも席に行って座ってみたら真ん中に近かった。そんなこともあるらしい。

これまで自分が触れてきた音楽はどちらかというとかっちりしたものが多い。クラシック(特に自分が好きな曲)はそういうものだから。でも、今日聴いたものはある種真逆だった。アイコンタクトが飛び交う。誰かが暴走したら他の誰かが苦笑いしながら合わせる。客の手拍子がずれたら切り換えのタイミングで修正する。それを可能にする技巧。一見めちゃくちゃになりかけても、バシッと合ってほしい音が全部ぴったりとはまる。ソロパートを弾くときは物凄く楽しそう(ベースの人は終始渋い顔をしていたけれど、それはそれで熱意が伝わってくる)。かっこいい。最高だった。何がすごいって、また生で聴きたいと思わせる力だよな。こんなの見せられたらCDで聴こうとは思わないもの。所謂ライブ感ってこういうことなんだと思う。それほどまでに魅力的だったし、なんか本当にとんでもないものを見た。

たまたま最前列だったからそう聴こえたのかもしれないけれど、音も基本的に電子音ではなくてアコースティックな音がちゃんと聴こえたのも好みど真ん中だった。一部パートの人が持ち替えていたベースとシンセサイザーが例外かな。ドラムとベースをこんなに真正面から聴いたのも初めてだった。ベース、明らかにいいな。これがないと全然違うんだと思う。あとコンバス弾けるのかっこいい。ドラムも色んな音が出る面白い楽器だと知って、一気に好きになった。音は大きかったけれど、心地よいリズムがずっと体に響く感覚は好きかも。先月聴いた吹奏楽と同じく、今まで何気なく聞いていた音はこの楽器がこういった弾き方をしたときに出るものなのだと理解できるのが面白い。使っている楽器が少ないから、わかりやすいのも関係しているかも。

今度別のジャズコンサートにも行くことになった。こういうものは勢いで決めるに限る。ちょっと先のことだけれど楽しみ。

 

 

あんまりにも楽しそうで、ジャズをやってみたくなった。私の楽器だとほぼ主旋律になるのかな。クラシックを続けながらコードを覚えたら何とかなるのだろうか。弾き方がちょっと独特な気もする。最近はオケやアンサンブルも気になっているし、アイリッシュフィドルも興味があるし、ジャズも興味が出てきたし、楽器のモチベーションが高い。とはいえど、身体の調子も気分も日によって違うし、自分のペースで楽しみたい。

2023.03.12

辞めなければいけない、そう仰った。その人のことはあまり知らないけれど、歌にかける情熱が人一倍あることはこれまでの付き合いで見て取れる。それでも、一旦表現を伴う活動はすべて辞めて地元に戻るのだと。他人の人生には私の想像のつかない色んなことがあるのだろう。

日頃楽しく歌えるようになって、やっぱり歌うことが好きだと心から思えるようになって。でも、そのきっかけになった人は表現を辞めてしまうらしい。どことなく寂しいなと勝手に思う。直接会う機会があと少しありそうだから、その際に感謝の言葉は伝えておきたい。

 

 

先日、自身の持つ楽器について調べていたときのこと。たまたま自分と好みのクラシック曲が悉く重複しているブログを見つけた。出てくる曲名すべてに頷きながら読み進めていると、ふと目についたある言葉がすんなりと自分の中に入ってきて、その日から私の楽器に対する感性はがらりと変わってしまった。一方で、そのブログの末尾には下記の趣旨の文章が綴られていた。曰く、「楽器を弾くことによって自分の人生は救われないとわかってしまった。どれだけヴァイオリンが上手くなっても、自分はまったく幸せではないことに気がついてしまった。」と。ちょっと寂しい気持ちになった。この人の演奏、私は聴いてみたかった。今は幸せであればいいな。

数週間前、異なる楽器を弾いたときに音が変わった気がしたのは、おそらくこのことがきっかけで私の気の持ちようが変わったからで。楽器の音色が楽器の音とその人自身の音でできていることを感覚的に知っている。今はそこから一歩踏み込んで、音色は自分の心を映すものだとはっきり自覚できた。それからは自分の心を動かす音が内側に存在していることになんとなく気がついて、それを表現したいと自然と思えるようになった。今は足りなくてもまた弾けばいいし、そうやって何かを追い求めることは楽しい。

時に丸一日触れてもわからず、15年以上悩み続けていたものがするすると解けていくような感覚。心が感じられないと形容されてからどこか楽しめなくなって、いくら練習しても技術と「それ」は乖離する一方で、何のために楽器を続けているのか心の何処かで問い続けていたように思う。でも、ここに来てようやく私は私の音を少し好きになれたらしい。私が好きな私のバッハを私が弾くんだな。それだけのことが理解できるようになるまで長年本当にしんどかったけれど、今は楽器を続けてきてよかったと心底思う。

2023.03.05

先日知ったこと。腎臓が悪くなると、妊娠・出産はNGと言われることがあるらしい。母体のみならず、子の分まで血液を濾過する必要があり、それ相応の負担がかかるのだと。言われてみると確かにそういうこともありそう。

家庭や結婚、妊娠・出産について、機会があれば男女問わず色んな意見を聞くようになった。立場によってそれぞれ色んなことを言う人がいて、どれもおそらくその人にとっての真実で。

そこそこ前に親戚にお子さんが産まれて顔を見に行ったとき、お産の過酷な現場を本人から聞いて怖気付いていたら「それでも子どもが生まれることは特別で、とても尊いことで、そんなに怖がらなくていいんだよ」と諭されたことを思い出す。話の内容があんまりだったから、たぶん中高生?くらいだった私はすべてそのまま顔に出ていたのだと思う。産後数日後の疲弊した状態で、体の上半身だけ起こした状態で言われた内容は言葉だけ見るととても平易なのに、妙に説得力があったのが印象的だった。心からそう信じている人の言葉。何より実際に成し遂げた人の言うことだから凄みがある。

自分の周りのお子さんがいらっしゃる方は、体力のあるうちに産んだ方がいいと言う人が多い印象。言いたいことはわかる気がする。経験したことはないからわからないけれど。たまに逆の人もいる。子どもは別に30代でも産めるのだから、20代の若いうちに自分に様々な経験を積んでキャリアを作っておくべき。それもそれで一理あると思う。キャリア、女性は絶対に妊娠・出産で中断するから考え始めると難しいよな。安定択を取るならば、手に職つけるか、大手の福利厚生がしっかりした会社に勤めるかの二択になりそう。あと、20年間そこそこ大きな義務を負うことになるのは、自分の親を見ているだけでもなんとなく想像がつく。良いことも色々あるのだろうけれど。

でも、子どもは30代でも産めるって、本当にそうなのかな。もっと早くに産めなくなる可能性、なくはないよな。可能性が低くても、仮に5年後自分が病気になって産めない体になったとして、何かを後悔せずに受け容れられるのだろうか。相手がいないと始まらない話だし、どのみちもっと精神的に強くならないと子育てとか中々難しいだろうけれど、なんかなあ。20代半ばで腎臓を悪くし、医師に妊娠・出産してはいけないと告げられ、今は定期的に透析をしながら生きている人の話を聞いて、自分にも起こり得る可能性を一つインプットする。手遅れにならないだろうか。心から望んだとて恵まれない場合もあるだろうし、考えても仕方がないけれど。

 

これ書きながら気がついたけれど、たぶん普通に体調悪いし情緒不安定な日だと思う。思えば昼から輪をかけてネガティブだし、頭がめちゃくちゃ痛い。それでも原因が明確だからまだましかも。今日は諸々進捗があまりなくてちょっと落ち込み気味だったから、気がつけてよかった。クッキーを食べて温かい紅茶を飲んで、できることはやって早めに寝る。

2023.03.04

何だかんだ、今週も仕事が忙しかった。やることがないよりはよっぽどいいな。

負荷が多少減って楽になってくると何か面白い案件降ってこないかな〜と声に出すことにしている。すると、不思議と重い案件が来ること多数。言霊というのも伊達じゃない。

 

先週ふと思い立ち、日曜日にふらっとバッハを聴きに行ったフットワークの軽さは良かったものの、金銭は無限にあるものでもなく。過去の自分に粗餐を強いられている。とはいえど、自炊すればそこそこ安くおいしいものが作れるようになったと思う。食費が抑えられるようになったことは、間接的に自身の料理スキルが向上したことを実感できるようで、何だか喜ばしい。

 

ここまでが昨日のお昼に書いていたこと。今見ると何だか余裕がある。

 

 

昨日はあれから仕事をしていて、気がついたら21時半だった。ひたすら文章を打ち込み続けること数時間、久々に時間の感覚が吹き飛んでしまった。ある程度コントロールできるようになったと思っていたけれど、打ち合わせが入らない時間になったらこれだから、人間の本質的なところってあまり変わらない。ころころ変わっても怖いけれど。重めの仕事に区切りをつけ、一息つきつつメールをチェックしていたら別の重めの仕事が来ていてめちゃくちゃ笑ってしまった。言霊だな。

色々とやりたいことはあったものの眠気が酷く、身支度をして即就寝した。目覚めの感覚としてはすっきりしているけれど、食欲があまりない。最近は遅くとも20時までには食事をとっていたから、昨日の22時半の食事がお腹に残っているか、疲労の現れか。どちらなのだろう。食べないと頭が回らないのも事実だから、とりあえずスープとパンもどきをお腹に入れることにした。

三連休

先週の思い出。

 

土曜日。

コンサートに参加するために移動。荷物をリュックサック1つにした結果、物理的にも心理的にも軽めの負担で移動できた。

 

到着してからパンを焼いてみた。1斤と1.5斤の食パン。正確に材料を量るのが重要らしく、お菓子作りもそうだけれど、こういった正確性が求められるものは向いているのかもと思った。

生地を作っていると段々もったりしてきて、いつの間にかまとまってくる。丸く整形するととてもかわいらしい。大きなお饅頭みたい。寝かせて少し膨らんだ生地を再度捏ねているとき、物凄くパン作りに一生懸命な自分がいてちょっと面白かった。料理は常に次の作業を頭の片隅に置きながら行うけれど、パンって捏ねるだけとかそういった時間が多い。材料も比較的少ないし、最初にまとめて量っていれば大丈夫。真剣に取り組む中でもおいしくなってほしいな〜と念じる余裕があるというか。これがパン作りの良さかもしれない。必ずしものんびりやっていいわけではないけれど。発酵させているときに数十分ほど時間が空くから、そこで別のことができるのもいい。

生地を巻いて型に入れているとき、海外でシート状の生地をくるくる丸めてクロワッサンを焼いていたときのことをふと思い出した。20年ほど経って、なぜか食パンを生地から作っていることを思うと若干不思議な気持ちになる。今も昔もパン作りはとても楽しいかもとふと感じ、あのときの私も楽しかったんだなと他人事みたいに思った。その後、発酵して倍くらいに膨らんだ生地を見て謎の愛着がわいてきた。名残惜しいけれどオーブンに入れて焼き始める。丸いのはここまで。

焼き立てのパンを出すとちゃんと四角くなっていて驚き、その香りの良さにまた驚いた。バターとイーストの香り。少し放置してある程度表面を冷ましてから切ってみる。切った瞬間湯気が出た。食べてみるとふわふわで、なめらかでしっとりしていて、耳までやわらかくて。めちゃくちゃおいしい。今まで食べた中で明らかに一番のおいしさ。これは好きかも。

小さめのものは顔を見に行くついでに親戚の家に持っていった。どうやら相手はパンが好きだったようで、非常に喜んでくれた。元気そうでよかった。

 

夜、食べたいものはないかと訊かれて、ぱっと思い浮かんだものを正直に答えた。これが好き、あれが好き。時と場合によっては中々出てこないだけで、ないわけではないらしい。

 

この日のご飯は猪鍋。大好物の1つ。事前に猪鍋にする?と訊かれていて、食べたかったからそれがいいと返したら本当に作ってくれた。正直に言ってみてよかったなとちょっと思った。

 

 

日曜日。

コンサート当日。夜の開演だと思っていたところ、念のためチケットを確認したら15時開演だった。なぜ夜だと思っていたのだろう。おそらくこれまで行ったことのあるコンサートが軒並み夜開始だったからだけれど、思い込みが過ぎた。危ない。

感想は既に書いたとおり。全身が音で満たされて非常に満足した。音楽っていいな。

 

ホグワーツレガシーを見せながら、周りの人が理解している元ネタを自分がまったく理解していないことに気がつく。映画も全部観たわけじゃないし、チェスの場面が好きなくらいで他は何も覚えていない。この間、他の人ともハリーポッターの話をしたときに本をおすすめされて、どこかで読んでみたいなと思っていたことを思い出した。文庫本があるのかな。ハードカバーのものなら実家に全巻あるから帰省時に読むのもいいかもしれない。時折庭を眺めながら紅茶を飲みつつ本を読むやつをやりたい。これから良い季節だし、機会があれば。

 

晩ご飯は前日のリクエストに応えて手作りコロッケ。素朴な味で好きなんだよな。安心する。手料理で食べたいもの、前に来たときには何も頭に浮かんでこなかったのが引っかかっていて、本当にないのかなと疑問に思った。日々を意識して過ごしていたら好きなものなんてたくさんあったんだよな。何もないと思われていたら嫌だなと感じていたから、今回は伝えられてよかった。手間のかかる料理なのに作ってくれて、本当にありがたいと思う。

机に置かれたウスターソースカゴメのものではなく、やたらとおいしいものだった。きつくなくて上品な感じ。おいしいコロッケにおいしいソースの組み合わせ、おいしくないわけがない。味が濃いからソースがあまり好きではなく、何ならたこ焼き(そもそもあまり食べない)やお好み焼き(ポン酢派)ですら普段はかけずに食べるのだけれど、今回はコロッケ(普段何もかけない)に好んでかけて食べたくらい。箸休めのキャベツの千切りに絡めて食べるのもおいしかった。揚げ物をするなら自宅にも1本ほしいけれど、しないから今はいいかな。

ご飯を食べようとしたときに下の子が真横に陣取ってきたのが面白かった。なぜか適度に構いながらご飯を食べる羽目になる。こんな出来事もあと何回あるのかなとぼんやりと思ったりして。おそらく今だけなのだろう。

 

食後の紅茶、かなり印象的だった。香りも渋みもない紅茶はとても不思議な味がする。お水って大事なのね。日本に生まれてよかったと心底感じた。良い勉強になった。

 

雨音がかなり響いていたものの、疲れていたのかこの日はベッドに入ってすぐに眠れた。

 

 

月曜日。

何だか変な夢を見た。あまり好ましい内容ではなかったけれど、涙は出なかった。

 

元々前日のコンサートが夜の開催だと思っていたため、ゆったり過ごすためにお休みにしていた。楽譜を漁っていたら少し楽器を弾かせてもらえることに。以前持ったときは大きく感じた楽器が今は普通のサイズに感じて、少し拍子抜けした。音も物凄く大きかった記憶があるけれどそんなことはなくて。たぶん楽器そのものではなく、私の音が変わったということ。胸につかえていたものが1つ取れたような気がした。