料理楽しい。

表題のとおり。体調が悪くても何か食べようと思える理由の半分くらいが今はこれ。作ったものを一番おいしい時に味わうためには食べるしかない。あとは色んな人にちゃんと食べてくれと言っている手前私もちゃんと食べないとなと思ったりして。本当にだめなときもどれだけ時間がないときも無理やりウイダーinゼリーを流し込んだりしてる(箱買いした)。納豆以外もちゃんと食べてるのかな。



料理が楽しいと何がいいって、買い物まで楽しくなる。面倒くさがりだし結構嫌だったんだけれど、今では何が売っているのかわくわくしながらスーパーに行ってる。これまでだと「何かが食べたい→料理しないと食べられない→食材を買う→自分で作ったものはなんかおいしくない→余った食材を使い切るためにまた料理しないといけないけれど、その時は料理したい気分ではない→無理して作る→やっぱりなんかおいしくない」みたいな感じでちょっとしんどかった。何ならスタートが料理じゃなくて、食べることにあったし。それが今では「料理がしたくなる→食材は都度旬のものや安いものを買う→料理するの楽しい→おいしくできるとおいしいと感じられる→余っても次作るものを考えること自体楽しい」みたいな。なんか、こうやって見ると変わりすぎていて自分でも驚く。

最近明確に変わったのが、買い物のやり方。値段の相場とか、使い切れるサイズとかなんとなく掴めてきた。安易な気持ちでキャベツを一玉買って地獄を見たりはしたけれど。食材を使い切れるように組み合わせるのはなんとなくパズルみたいで。1年ほど前にご家庭持ちの先輩が、「料理の面白いところは食材を組み合わせて上手いことやりくりするところ」と仰っていたのも今なら少しわかる。世の親って栄養バランスとか色々考えながら一生懸命こういうことやっていたりするんだな。すごい。上司が言っていた「専業主夫になって毎日料理していたい」も今なら30%くらいわかるかも。おいしくて栄養のあるものを作れて、大切な人に食べてもらえたら嬉しいと思う。長生きしてほしいし。ちょっと自分が持っている何かのイメージに近い気がする。とはいえど専業主婦にはなりたいと思わないけれど。たぶん私は性格的に向いてないし。でも、それでお互い幸せを見出だせるならそれも良い選択だよな。



私の中で料理と言えば祖母のイメージが強くて。そんな祖母がよくやっていたのが砥石で包丁を研ぐことで。いつだって、祖母の包丁はよく切れる。そんな姿にちょっと憧れて、砥石は使えないから簡単に研げるものを使って、今日は包丁を研いでから料理をしてみた。結果として、あらゆるものがあまり力を入れずとも簡単に切れて、これまでの苦労を思うと悲しくなった。青ネギ、そんなに頑張らなくてもさくさく切れるものだったんだな。これからは定期的に研ぐことにする。

最近野菜が全般的に高くて困る。茄子とか、きゅうりとか。好きなのに。特に玉ねぎが高騰しすぎて(1個150円って何?)、このくらいならいっそのことと思って安易に新玉ねぎを買ってしまう。おいしいから。料理に使うと優しい味になりがちだけれど、それもそれでおいしいし、むしろ玉ねぎ本来の味だからいいかなって思ったり。あとどちらかというと自分は薄めの味が好みなのもあって。もっと出汁とかで無理なく味にピントをつけられる技術があればいいのにな。でも、こうやって考えること自体が本当に楽しい。